解説
子どもは村の子
江戸時代、子育ては家庭内だけでなく、村人たちもよく面倒をみてました。
子どもが一人前の村人に育ってもらわないと、村の存続に関わるからです。すなわち年貢納入に支障があってはなりません。一方、人々の願いは家の繁栄。子々孫々と家が続くことは共通の願い以上に出て男性家長の使命でもありましたので、子育てに関しては今現在より遥かに回りの理解を得たでしょう。
教育
農村の子どもたちの多くも寺子屋に通いました。特に江戸中後期は、都市部からお金が入ってきたこともあり、証文が読めずにお金をだまし取られたりすることを防ぐためです。
また江戸時代中後期は、子供の数は一家に二~三人程度で、少なく産んで大事に育てるようになってきました。暮らしに少しゆとりが出てきて教育やお稽古事ごとに熱心な親が出てきたのもその背景にあります。
ネットワーク
江戸時代の子育ては介護同様、家の中だけで行うものではありません。親類はもとより祖父母、村人、子安講、村のみんなで子育てに携わりました。
子安講(こやすこう)は安産祈願のために、出産適齢期の婦人が集まってする信心講。定期的に当番の家に集まって信心し、また、茶飲み話の間に知識や情報を交換しました。