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荻生徂徠『政談』18

御徒・与力とは 金でなれる武士

御徒にしようかな?与力にしようかな?

江戸時代の下級武士である御徒(おかち)や与力はどんな人々だったのか、荻生徂徠政談』で見ていきましょう。

荻生徂徠『政談』巻之三

1.金でなれる武士

「御徒・与力は、その組の頭(かしら)が心のままに組に入れる故(ゆえ)、悉くの次第に成って、町人・百姓または小普請手代(小普請方配下の役人,幕府の諸営繕事務を扱う)の類(たぐい)は、金で与力に成って居る。

また金を出して我が子を御番衆の養子にして(御番衆となる)中継にする類、現在は甚だ多し。これらは戦場を勤める者なれば、箇様は有るまじき。

御徒は元来は御譜代。御徒より立身したる輩多し。久世三四郎(広宣,1561-1626/大坂陣 先手頭)など御徒より出た。」

2.浪人の腰掛所

「与力は昔、公儀を願う者を、頭(かしら)の心にて与力に入れ置き、様子を見て召し抱える類多し。中頃より浪人の腰掛所と云って、高取りの浪人が(ふさわしい禄で)就職するまでの間、与力に入って居た故、歴々の士が多かった。

今は金にてなる故、埒もないこと。昔は御旗本の二男三男召し出されてことになれども、近年はこの事絶えたり。」

3.問題点と改善策

「これ皆根本の所、太平久しく続いて、世の風俗にて家の繁栄に重きを置くことになったからだ。

与力は先手の武役、御徒は御馬先に近き(将軍の身辺守護)者也と云うことを忘れて、頭(かしら)は手前の奴僕の如く思うところから起こっている。御旗本の頭も高慢で[1]、組下を軽く見るより起こっている。総じて五六十年以前とは替り、御旗本の会釈(あいしらい,応対)も悪く成っている。」

「(そのような理由から)御旗本の二男三男を御徒・与力・御勘定・御祐筆にしたい。と言っても、下の役に推挙することには非ず。ただ家が繁栄すればいい風俗を破り、肝心の所は、その中より才もあり器量も有る者を御取り立て有って[2]、賞罰をもって御使い遊ばされる様に仕りたきことである。」

「今の如く家の繁栄極まりたることに成り堅(かた)まっては、中より下の人は立身の望みはなし。上へは遠し。ただ下は軽薄と、身の持ち方や気風が下に成って、下の者は才智も皆、用に立たなく成るのだ。」

補註

  1. 旗本の頭も高慢で…『論語』八佾26「上に居て寛(くわん)ならず」
  2. 才智もあり器量もある者をお取り立て有って…『論語』子路02「賢才を挙げよ」

参考文献

現代語訳について

当頁『政談』の現代語訳は、辻達也 校注「政談」『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店、1973年)をもとに当サイトの運営者が現代語訳。徂徠節を尊重し、直訳を心掛けた。また、尾藤正英(翻訳)『荻生徂徠「政談」』(講談社、2013年)も参考にした。

補註について

補註は当サイト独自に平岡武夫『全釈漢文大系 第一巻 論語』(集英社、1980年 )を参照して附した。

荻生徂徠・政談

1.荻生徂徠 2.本書概要 3.武士の非正規 4.旅宿暮らし

5.武士の貧困 6.医者 7.国替 8.外様譜代 9.国の困窮

10.歴史に学ぶ 11.貧困解決策 12.経済活動 13.スピード社会

14.物作り 15.衣服 16.品格 17.代官 18.御徒与力 19.人材登用

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