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近代文学で覚える異体字と歴史的仮名遣いその7

高見順「あるリベラリスト」

高見順「あるリベラリスト」

高見順「あるリベラリスト」一部抜粋

原文

そして水瀨は、嘗つて秀島の前で稱揚したこともある、奥村氏の精神のみづみづしさといふものを、今は輕蔑したい氣持ちだと言つた。

あれは、尊重すべき精神的若さといふのとは別もので、たとへてみれば、にがりが無くていつまでもかたまらない豆腐みたいなものだと言つた。

「なにか大事なものが拔けてゐる」

「内部に、――と同時に、外部にも、それがあつたんぢやないのかな。つまり奥村さんの悲劇は、奥村さんのせゐでもあるが、奥村さんのやうなタイプを育てない、そして君の言ふ精神的敗殘者にしてしまふ、さうした日本の文化的土壌の罪といふことも考へられるんぢやないか」

分つてると水瀨は手を振つて、

「否定する譯ぢやないよ。だが、俺はさういふのには、もううんざりしてるんだ。うんざりどころか、さういふことばかり言つてると、結局、自分のなかの大事なにがりまで失つてしまふ結果になると、俺はこの頃、さう考へてゐるんだ。

花の咲かない土壌だと百萬遍唱へたところでそれで花が咲く譯ぢやない。咲く花も却つて咲かせないやうにするだけだ。花の咲かない土壌かもしれないが、とにかくその土壌に生まれた以上は、どんなちつぽけな花でもいいから、死ぬ迄に何か花をひとつ咲かせたいといふのが、僕の氣持ちなんだ。」[註1]

現代語訳

そして水瀬は、かつて秀島の前で称揚したこともある、奥村氏の精神のみずみずしさというものを、今は軽蔑したい気持ちだと言った。

あれは、尊重すべき精神的若さというのとは別もので、たとえてみれば、にがりが無くていつまでもかたまらない豆腐みたいなものだと言った。

「なにか大事なものが抜けている」

「内部に、――と同時に、外部にも、それがあったんじゃないのかな。つまり奥村さんの悲劇は、奥村さんのせいでもあるが、奥村さんのようなタイプを育てない、そして君の言う精神的敗残者にしてしまう、そうした日本の文化的土壌の罪ということも考えられるんじゃないか」

分ってると水瀬は手を振って、

「否定する訳じゃないよ。だが、俺はそういうのには、もううんざりしてるんだ。うんざりどころか、そういうことばかり言ってると、結局、自分のなかの大事なにがりまで失ってしまう結果になると、俺はこの頃、そう考えているんだ。

花の咲かない土壌だと百万遍唱えたところでそれで花が咲く訳じゃない。咲く花も却って咲かせないようにするだけだ。花の咲かない土壌かもしれないが、とにかくその土壌に生まれた以上は、どんなちっぽけな花でもいいから、死ぬ迄に何か花をひとつ咲かせたいというのが、僕の気持ちなんだ。」[註1]

出てきた異体字を覚えよう

称(ショウ) 神(シン)  軽(ケイ) 残(ザン)
称は稱の略体。禾+爯(手でものを持ち上げる)。穀物を持ち上げてはかる意。 示+申(いなびかり)。天神の意。一般にかみの意。金文には申のみの形のものもある。 軽は輕の略体。車+巠(まっすぐ)。まっすぐ突き進む戦車の意から、かるい意。 残は殘の略体。細かくきる、そこなう意。また、のこりの意。[註2]

歴史的仮名遣いのフレーズを丸ごと覚えよう

「たとへてみれば、にがりが無くていつまでもかたまらない豆腐みたいなものだと言つた。」

「たとへ」「言つた」は現代仮名遣いでは「たとえ」「言った」と書き、発音は現代と同じく「タトエ」「イッタ」です。この原理は「私は」と書いて「ワタシワ」と読む原理と同じです。

解説

高見順は太宰治と同世代の小説家で、なかなかのハンサムにして、私小説だと思われる作品の数々は赤裸々で面白いです。

さて、ここでご紹介した高見順の「あるリベラリスト」という作品は、小説家である主人公・秀島と近所の小説家仲間の水瀬らが、同じ町に住む、人の話は聴かず独善的にしゃべり続ける奥村氏なる老人にヘンに好かれてしまうことによって、奥村氏の介護問題に巻き込まれ、秀島と水瀬らの仲間割れにまで発展していくという、ある意味、現代的な内容となっています。

上記一部抜粋は、秀島と水瀬がオールド・リベラリストである奥村氏の精神構造について語り合う場面です。

高見順で他にオススメしたい作品は、「生命の樹」です。「生命の樹」は、艶っぽいんだけど品がいい、骨太の恋愛小説です。主人公が伊關君なる人物に語りかけながら物語が進行していくという、独特のスタイルが読んでいて非常に心地よく、高見順のセンスのよさを感じました。お暇な時にでもチェックしてみてくださいね。

  

補註

註1:伊藤整他編集『日本現代文学全集〈第85〉伊藤整・高見順集 (1963年) 』(講談社 、1963年)より引用。

註2:小学館辞典編集部 『現代漢語例解辞典 』(小学館、1996年 )参照。

近代文学で覚える異体字と歴史的仮名遣い

1.はじめに/2.夏目漱石「こゝろ」/3.坂口安吾「堕落論」/4.葛西善蔵「子をつれて」

5.太宰治「待つ」/6.宮沢賢治「どんぐりと山猫」/7.高見順「あるリベラリスト」

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