戦国古文書基礎講座-戦国時代の村社会-
その1:いきなり問題です。
下記に示す、資料1と資料2はどちらも売買証文と呼ばれるものです。しかし作成された年代が異なります。そこで問題です。どちらが戦国時代で、どちらが江戸時代に作成されたものでしょうか。なんと、日付を確認せずとも、一発でどちらがどっちの時代のものかがわかる、非常にマニアック且つ簡単な方法を、こっそりあなた殿に伝授します。と同時に戦国時代と江戸時代の村社会のついて見ていきます。
※カーソルの上げ下げは大変だと思うので、資料1、2はさくっと紙に印刷して、解説を読まれることをオススメします。(印刷方法:資料1と2、それぞれ画像を右クリックして、画像を印刷を選択してください。カラー印刷をオススメします。)
資料1
資料2
その2:なんじゃい、この漢字だらけの文面は!
ということで、古文書を学ぶ際にもきっとお役に立てる、用語解説です。
しかしいちいち用語を確認するのがめんどい人は、その3の意訳へ飛ばし読みしてOK!
中畑 | 畑の等級を示す。等級は上、中、下の三段階 |
五畝拾弐歩 | 畑の面積 一畝=三〇歩 一歩=約3.3㎡=一坪 |
金三両武分 | 無理やり現代で換算すると、約15万円前後 |
構(かまい) | 横合いから文句を言うこと |
御座候ハ、(ござそうらはば) | ございましたら |
罷出(まかりいで) | 出かける |
急度(きっと) | 必ず、厳しく |
埒明(らちあけ) | 解決すること |
可申候(もうすべくそうろう) | します(可は義務の意味。申から上に返って読む) |
為後日仍而如件(ごじつのためよってくだんのごとし) | 後日の証拠として上記のとおりです。 (古文書の文末に書き添える決まり文句。) |
その3:資料1、2の本文意訳
「面積が五畝拾弐歩の畑を売り渡し、三両武分のお金を受け取りました。このことについて、横から文句を言う者がおりましたら、証人が必ず解決します。以上です。」
この売買証文を書いた人:長右衛門
(本文(畑主長右衛門㊞より前)は資料1、2とも全く同じ内容です。)
その4:長右衛門さんは誰に、畑を売ったのか?
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長右衛門さん |
売買証文を書いた人にして、 畑を売ってお金をもらった人。 |
近世後期になると、貧しさ上に畑を売りに出すお百姓さんが後を絶ちませんでした。。 |
さて、資料の大まかな内容を確認できた所で本題に入っていきましょう。まず先に資料2を見てください。畑を売った長右衛門と、証人である七郎兵衛を含めた4人の名前、そして牛之助の名前があります。古文書では宛名は一番最後に、差出人は宛名より前に書くのが決まりになってます。現代と逆だと思っていただいて差し支えありません。というわけで、差出人の長右衛門はこの売買証文を、買主である牛之助宛てに書いたことを意味します。
次に資料1を見てみましょう。資料1は、畑を売った長右衛門と証人である名主の五郎兵衛の名前しかなく、買主の名が見当たりません。これでは長右衛門が畑を誰に売って、誰に宛てて書いた売買証文かわかりません。これは一体、どういうことでしょうか?
その5:問題の答え
近世(江戸時代)の証文は、必ずと言っていい程、文末に宛名を書きます。それに対し、戦国時代を含む中世の証文は、宛名を書かないのが一般的です。というわけで、宛名のない資料1が戦国時代、「牛之助殿」と宛名のある資料2が江戸時代に作成され証文ということになります。
日付、元亀と明和で判別することもできますが、資料1の宛名のない文末の大きな空白を見ただけで、これは近世文書ではない、中世文書だということが、簡単にわかります。
資料1 | 資料2 | |
文末に宛名が | ない | ある(牛之助殿) |
↓ | ↓ | |
中世文書 | 近世文書 |
その6:宛名を書かなくていい、中世文書主義
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牛之助さん |
畑を売った人。(資料2の場合) |
本文と関係ありませんが、イラストの牛之助さんの着用している藍は、木綿になじみやすく、育てやすい植物なので、近世の村々では藍色の仕事着が流行りました。 |
戦国時代を含む中世文書は何故、宛名を書かないのでしょうか。それは中世の村社会では、宛名にこだわらず、その文書(書面)を保持していることに意味があるからです。資料1を例に挙げると、資料1の証文を持っている者が、畑の持ち主であり、それが誰であろうが構いません。
逆に近世文書では、文末に記載されてある宛名の者が、権利を主張することができます。資料2で例えると、証文が誰が保持しようとも、畑の持ち主は、宛名の記載のある牛之助に変わりはありません。
何故、近世に入ると宛名が登場するのでしょうか。それについてはまだ、専門家の間でも残念ながらわかっておりません。しかし近世の村社会は、各村々の農民の間で、個人間の売買も頻繁に行われ、複雑になってきた経緯から、宛名は必要不可欠になってきたのでは?と考えられます。
その7:証人がたくさん!近世文書
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まさかの証人バブル!江戸時代 |
さて、実はまだ、資料1と資料2の明らかな相違点があります。それは証人の数です。証人は資料1、2とも青で示しました。資料1の証人は名主の五郎兵衛ひとりですが、資料2は七郎兵衛、九郎兵衛、藤右衛門、清十郎、4人もいます。戦国時代を含めた中世の文書に出てくる証人は、ひとりかふたりです。そして名主、僧侶といった、身分の高い者が証人になるのが特徴です。
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証人はひとりで充分、 戦国時代 |
近世文書は、名主、組頭と言った者も証人となりますが、身分というよりも証人の数が多いのが特徴です。売買証文に限らず、年貢を納めた時や、養子縁組の際の証文なども、証人5以上の連判は珍しくもなんともありません。これは近世の村社会、つまり各村々が、自立した強い共同体により形成されていることの現れかもしれません。
というわけで、宛名の他に、証人の数を確認するだけでも、資料1と2、どちらが戦国時代のものか判別できます。また、逆に数はともかくひとりでも「証人」がいることが、戦国時代と江戸時代の文書の共通点になります。中世前期の証文には、証人は出てこないそうです。
その8:戦国時代と江戸時代の文書の、大きな共通点は?
近世(江戸時代)の文書は、何かと埒明文言が出てきます。資料1、2の中で赤い字で示した所、「埒明可申所」が埒明文言です。問題が生じたら必ず解決します、ということを近世の証文では決まり文句として、文中の中によく出てきます。
ではこの決まり文句はいつ頃から登場したのかと申しますと、戦国時代あたりから登場してくるようです。
戦国時代と江戸時代の文書の相違点ばかりお話してきましたが、証人表記と埒明文言だけは戦国時代の流れを組んで、江戸時代の文書に反映されています。
その9:まとめ
それでは大変長い解説となりましたが、ここで戦国時代と江戸時代の村方文書について図でまとめます。
一般的な村の証文(文書、書面) | ||
戦国時代 | 江戸時代 | |
宛名 | なし | あり |
証人の数 | 少ない(一人か二人) | 多い(三人~無限大?) |
埒明文言 | あり。江戸まで続く、戦国時代からの共通点 |
結び
以上、村や証文、近世の視点から、戦国時代を見てみました。私自身、まだまだ勉強不足なのですが、今後とも、戦国時代の村のあり方について、何かお伝えできればと思っております。資料1、2は、古文書解読事典―文書館へ行こう くずし字の特徴とくずし方の事例で検索 、図録 古文書入門事典
、その他埼玉県の各市町村史などを参考に、ごく一般的で、誰もがわかりやすい売買証文になるように作成しました。よって、所蔵元などは特にございません。また、わかりやすいように資料1、2共に、畑主は長右衛門で統一しました。売買証文含め、細心の注意を払ってこのページを作成しましたが、ここは明らかにおかしいぞという点がございましたら、ご遠慮なくお申し出いただければ幸いです。ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。って、フッツーに戦国武将の文書を取り上げようよって感じですよね。すみません、私が戦国未満とは別に個人的に研究しているテーマが村なもんで。江戸時代の9割以上が村人なので、村を語らずして江戸時代は語れんというのが私の持論であります。戦国もしかりかもですね。
主要参考文献:村落の変容と地域社会 (新しい近世史) 、図録 農民生活史事典
関連リンク
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