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宗門人別帳9

武蔵国入間郡平山村の総人口_宗門人別帳9

史料

①安政二年九月

総人数_宗門人別帳_安政二年

※無断転載禁止

②安政六年九月

総人数_宗門人別帳_安政六年

※無断転載禁止

解読文:原文

安政二年九月

  1. 同寺旦那 娘・きよ㊞三才、〆四人内㊞男弐人・女弐人
  2. 一 同宗 同寺㊞旦那 家主・たの㊞二七才、久兵衛代印、〆女壱㊞人
  • 総〆人数百拾九人 男五拾八人・女六拾壱人
  • 真言宗今市村・法恩寺門徒、右多時無住ニ付上野村多門寺兼帯仕、法眼寺㊞

同六年同月

  1. 同寺㊞旦那 娘・たけ㊞九才、〆三人内㊞男壱人・女弐人
  • 総人数百拾八人 男六拾人、女五拾八人
  • 差上申一札之事、一 前書之男女之拙寺旦那ニ紛無御座候ニ付、銘々名前致印形差上申候、若法度之切支丹耶蘇宗之由、訴人有之候ハヽ、拙寺何方迄も罷出急度申分可仕候、以上、安政六未年九月(現代語訳は事項目的・決意の安政二年を参照のこと。)

解説

用語(安政二年)

  1. 多時(たじ):久しい間。
  2. 無住(むじゅう):住職のいない寺院。

村名

  • 今市村(いまいちむら):武州入間郡の一。現在の埼玉県入間郡越生町(おごせまち)。
  • 上野村(うえのむら):武州入間郡の一。現在の上記同町。

概要

史料・宗門人別帳に記載の旦那寺は、入間郡上野村の多門寺と同郡平山村の法眼寺

史料は表紙のとおり「入間郡平山村の」宗門人別帳なので、当頁の人数合計は当村の総人口になります。

安政期は、同元年(1854)に日米和親条約、同二年には江戸に直下型の大地震が起こりました。平山村の人口は地震の年一一九人から同六年(1859)一一八人とほぼ変わりなく、男性が二人増えて女性が三人減少。ちなみに当村の最高齢は、同二年は4.家主・文蔵八六才、同六年は13.家主・幸蔵の母みつ八六才です。

家数は数件の異動がありましたが、平山村全体で両年ともに二四家に変わりありません。しかし当村の化政期の家数は四〇軒[文献]だったので、四〇~五〇年前に比べると半分ちょっと減ったことになります。人口減少は当村に限ったことではないので、幕府は文政の改革を断行しました。

参考文献

史料情報

  • ① 武蔵国入間郡平山村宗門人別御改帳:埼玉県立文書館所蔵 平山家1309
  • ② 同表題:同館所蔵 平山家1313
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宗門人別帳

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