解説
江戸時代、地域の人々が強い繋がりを持っていた理由として第一に、個人ではなく「村」に年貢が課せられたことが挙げられます。
ここが古文書ネット村だとして、あなたや私を含む当村五〇戸に一年で一千五百万円、税金(年貢)を課せられたとしましょう[註]。しからば当村の皆で力を合わせて納めていくしかありません。
五人組にも代表されるように、村人たちが好きで繋がっていたというよりは、地域と繋がるしかなかった社会の中で生きていたとも言えます。反面こうした体制(石高制という)がうまくいっていたといえば、そうでもなく、江戸中後期には宗門人別帳(戸籍)から外された無宿が増加し、村は荒廃していきました。
何故、都市江戸ではなく村を取り上げているのかといえば、当時の人口の八割は百姓だからです。ところで上図に代官の名が見られます。時代劇でもお馴染みの代官は、幕府の役人(武士)で、治安維持等いろいろな役目がありますが、大事な役目の一つが村から年貢を徴収することでした。
補註
村の基礎データによれば村高平均五〇〇石。四公六民により(500×4÷10=)二〇〇石。円換算すると(200×75,000円=)一千五百万円。農村戸数平均五〇戸として一戸あたり(15,000,000÷50=)三〇万円。人口約四〇〇人により一人あたり(15,000,000÷400=)約40,000円。