義とは
義(ぎ)とは、儒教五常(仁義礼智信)の一。孟子は孔子の仁の持っている要素を二分して、仁と義としました。
仁は遠心的に他者に向かっていく心情というニュアンスが強いのに対して、義は静的な秩序、あるいはその秩序を維持する心性を指し、求心的な印象をあたえます[文献1]。
また孟子のいう義とは、後の荀子や韓非子の説くような、やむをえずに従わされる外的な規制ではありません。あくまで自分の心中にきざした利己心を自ら克服しようという気持ちです。
荻生徂徠『弁名』上_義 八則に曰く「礼は以て心を制し、義は以て事を制す。礼は以て常を守り、義は以て変に応ず。この二者を挙ぐれば、先王の道は、以てこれを尽くすに足るに庶(ちか)し。(中略)人多くは礼の先王の礼たることを知れども、義もまた先王の義たることを知らず。故にその解みな通ぜず。」
経書(儒教の経典)
- 君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。『論語』(里仁16)
- 不義にして富(と)み且つ貴(たふと)きは、我(わ)れに於(お)いて浮雲(ふうん)の如し。『論語』(述而15)
- 仁は人間にもともと具わっている心であり、義は万人の行くべき正しい道である。『孟子』(尽心章句上)
- 親に親しむのが仁の心であり、年長者に一目おくのが義の心である。仁義とは、ほかでもない、このような素朴な心を、天下にあまねく通行させることのあのである。『孟子』(尽心章句上)
- 仁に身を置き、義より発して進む、大人物のすべき仕事は、それですべてです。『孟子』(尽心章句上)
- 学問が好きならば(天才でなくても)やがて知恵の深い人となり、努力する人は徳を積んで仁者になり、また恥を知って義を守る人は勇者になるのであって、この三徳を心得たならば、それで身を修め人を治めることができ、さらに国家を統(す)べ天下を平らかにすることもできるであろう。『礼記』(中庸)
参考文献
- 土田健次郎『儒教入門』(東京大学出版会、2011年)
- 西田太一郎 校注「弁名」『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店、1973年)
- 平岡武夫『全釈漢文大系 第一巻 論語』(集英社, 1980年 )
- 藤堂明保・福島中郎訳「孟子」『中国古典文学大系3』(平凡社、1970年)