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儒教

智とは 儒教道徳(五常)解説

五常

五常
意味 見識 実証

五常配色は陰陽五行説による。

智とは

智の字体にはが入ります。かくして智とは『漢和辞典』曰く「武器を供えて神意をきく意から、ちえの意。もと知の別体だったが、金文以後、日を加えた。知と区別して知力がすぐれている意に用いる場合がある。」

孟子は孔子の仁の持っている要素を二分して、としましたが、同時に仁義智の四つにも分けました。これを四徳と言い、四徳にを加えて五常と言います。

(ち)は、単なる知性ではなく道徳的に認識し、また判断する能力。孟子において仁義礼が個別に取り上げ力説しているのに対し、智はもっぱら仁義礼と共に語られます。

荻生徂徠『太平策』曰く「また人を知ること在りと云うは、智の徳である。聖人の智というは、世俗の了簡とは別だ。或は物を知りたるを智と思い、或は才智利発の抜け道で、表裏をさとるようなるを智と思い、或は謀りに長じて、難を救って用を弁(わきま)えるを智と思っても、それらは皆智の一端にて小智なのだ。

人君の大智に非ず。人君は人を知るを以って智とする。これ智の徳なりと云えども、全く仁の道だ。何ほど民を安んずる心に居て、明け暮れにその工夫をなすとも、天下国家はわれ一人にて治められぬもの。

人の才智に限りあり、精力に限りあり、思慮の及ばぬ所あり。故に人君の智は、我智を智とせず、よき人を知って、委任するを人君の大智とする。」

荻生徂徠『弁名』上_智 二則に曰く「凡そ経にいはゆる智は、みな君子の徳を以てこれを言ふ。「礼を知る」、「言を知る」、「道を知る」、「命を知る」、「人を知る」のごとき、これなり。」

経書による記述

『論語』

  • 樊遅が知を孔子に問うた。孔子曰く「民が正しいとする道を励み、神には尊敬しながらも遠ざかっている。それが智というものだ。」(雍也22)
  • 命を知らざれば、以って君子為(た)ること無(な)きなり。礼を知らざれば、以って立つこと無きなり。言(ことば)知らざれば、以って人を知ること無きなり。(堯曰03)

『孟子』

  • 敬い慎む心や、是非を判別する心は誰でも持っている。このあわれみの心は仁であり、恥ずかしいと思う心は義であり、敬い慎む心は礼であり、是非を判別する心は智であるのだ。仁義礼智の徳は、決して外からメッキされたものではなく、自分がもともと持っているものである。(告子章句上)
  • 仁の中心は親に仕えること、義の中心は兄を立てることである。智の中心はこの両者、すなわち親に仕え兄を立てることの大切さを知って退かぬこと、礼の中心はこの両者のやり方を程よく美しく整えることである。(離婁章句上)

参考文献

  • 丸山真男 校注「太平策」、西田太一郎 校注「弁名」『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店、1973年)469頁(太平策:引用文は当サイト現代語訳)、58頁(弁名:本書原文ママ)
  • 土田健次郎『儒教入門』(東京大学出版会、2011年)
  • 平岡武夫著『全釈漢文大系 第1巻 論語』(集英社、1980年)
  • 木村英一・鈴木喜一訳「論語」、藤堂明保・福島中郎訳「孟子」『中国古典文学大系3』(平凡社、1970年)

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