概要
時計の見方がわからない!?
『西洋時計便覧』明治二年(1869)は、柳河春三の著作による西洋時計解説書。
江戸時代の人々の時間の数え方(不定時法)は、夜明けと日暮れを境にして昼・夜をそれぞれ六等分し、季節によっての時間の長さに変動がありました。
今私たちが使っている時計つまり西洋時計は、季節によって時刻の長さが変動したりしません。これを理解することが当時の人々にとっては結構、難しかったようです。
そのような理由から『西洋時計便覧』は、今まで(江戸時代)の時間の数え方との違いに触れながら、時計の見方を詳細解説。現代から見ると逆に、それまでの時間の数え方(不定時法)の勉強になる読み物です。
柳河春三とは
若き洋学者にしてジャーナリスト
柳河春三(やながわ-しゅんさん)は、幕末-明治時代の洋学者、邦人による新聞・雑誌創刊の始祖。
天保三年(1832)栗本武兵衛の子として名古屋に生まれ、幼名辰助のちに西村良三と改めました。嘉永六年(1853)二二歳の時にペリー率いる東インド艦隊が来航。安政の大地震の翌年の安政三年(1856)に江戸に赴き柳川春三と改称しました。諱は朝陽、旭、楊江、楊大昕、臥孟、艮庵、酔雅など多々あり。
幼くして神童の誉れ高く、蘭学を本草学者伊藤圭介・砲術家上田帯刀について学び、のちに英・仏語を取得。紀州藩老臣・水野忠央を得て、同五年に同藩に仕え寄合医師として蘭学所に勤めて七〇石を禄しました。
やがて洋学の研究教育機関・蕃書調所に出仕し、元治元年(1864)三三歳で開成所教授。この間西洋文明の紹介・移入に精力的に取り組み、『洋楽指針』『洋算用法』『写真鏡図説』などをはじめ医学・兵学など多方面にわたる著訳書を公にしました。
文久三年(1863)から欧字新聞『ジャパン=タイムス』などを翻訳。慶応三年(1867)一〇月に日本初の雑誌『西洋雑誌』、翌明治元年(1868)二月に日本人の手による最初の新聞『中外新聞』を発行しました。
同年七月に新政府の召命を受けましたが固辞。しかし開成所が新政府に引き継がれたため同所頭取、制度改革により翻訳校正掛、翌年七月に大学少博士となり十月に免官。翌月に再度召命を受けましたが、同三年(1870)二月、肺結核のため急死しました。享年三八。
参考文献
北根豊「柳河春三」『国史大辞典14』(吉川弘文館 1993年 )81-82頁
史料情報
- 表題:西洋時計便覧
- 年代:明治二年(1869)/柳河春三著、柳河氏采英書屋刻・東京 宝集堂発兌
- 埼玉県立文書館寄託 小室家文書3335
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西洋時計便覧
4.懐中時計 表面 5.開図 6.調整 7.刻み方 8.見方
9.図解 時計の読み方 10.不定時法対応表