現代語訳
蒸気船/本名・フレカツト船
一 長さ68.4メートル・幅21.6メートル/ 一 帆柱3本、帆数11枚/一 ガラス製格子窓11.2メートル
一 大筒左右2段36挺/一 水車総鉄作り直径7.2メートル
一 この蒸気船は、元欧羅巴イリギスの工夫(こうふ)によりアメリカへ渡り置かれたが、鳥獣を捕える網が裂けとげとげしく、人が多く死んだので川船・運送として船を使っていた。
しかし段々に蒸気の具合を考え近頃はもっぱら、蒸気船に用い諸国に渡るようになった。嘉永六年六月には、アメリカ合衆国より、大日本相州(現在の神奈川県)三崎沖(三浦郡三崎村)へ渡来する。その勢いは、逆風・風雨を厭わず、あたかも龍が大海を渡るようである。
>>原文解読
解説
史料は、黒船来航を伝える江戸時代の瓦版。黒船来航は瓦版業者に取っては恰好のネタで、多種多様に刷られました。
本名「フレカツト」とありますが、これは船の名ではなく、軍艦のことを英語でフリゲート(frigate)と呼びます。ペリー来航の頁と照合すれば、当瓦版に「嘉永六年六月」とあり、ペリー第一回訪日の様子を記していることがわかります。
この時のペリー艦隊すなわち東インド艦隊は、蒸気船サスケハナ号、ミシシッピ号。帆船(はんせん)・プリマス、サラトガ号の四隻。瓦版の蒸気船はサスケハナかミシシッピということになりますが、わざわざ二番手のミシシッピを描く理由はないだろうと推測。
「相州三崎沖」に渡来とありますが、このとき艦隊は三崎沖の東側にあたる浦賀沖(三浦郡浦賀村)に停泊のはず。どちらにせよ三浦半島には変わりはありません。
蒸気船の速さについては『小学算術書』(明治六年)をご参照ください。
史料情報
- 表題:蒸気船[図](フレカツト船図)
- 年代:近世
- 埼玉県立文書館寄託 増田家文書402
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かわら版
黒船来航1・2/アメリカ・ロシア人1・2