19世紀前期(1800~1850)
1.異国船打払令
文政八年(1825)二月に異国船打払令発令。幕府が外国船の追放、上陸外国人の逮捕・射殺を命じました。
2.モリソン号事件
天保八年六月(1837年7月)に米国商船・モリソン号が浦賀(横須賀市)に来航。この中には北アメリカに漂流した尾張の人三人がいて、日本の漂流民送還、日本との通商の可能性を打診しました。然しながら異国船打払令によりモリソン号は幕府と薩摩藩から砲撃されました。
日本から海外への漂流は18世紀(1701~1800年)106件、1801~明治維新1868年107件でした。
3.阿片戦争
同一一~一三年(1840~42)には、日本のお隣り清(中国)で阿片戦争がありました。これは清の阿片禁輸措置から英国と清国との間に起こった戦争。清国が敗北し、列強との不平等条約締結、中国の半植民地化の起点となりました。我等が宗主国・中国が敗北したとして、日本に大きな衝撃が起こりました。
4.ジョン万次郎
同一二年(1841)にジョン万次郎(中浜万次郎)が鳥島(とりしま/現・東京都八丈支庁)へ漂着。米国の捕鯨船に救助されました。船長の好意により、英語や航海術を学び1851年に琉球を介して帰国。
5.薪水給与令発令
同一三年(1842)に薪水(しんすい)給与令発令。阿片戦争の影響により異国船打払令を改め、異国船の来航に際して薪水や食料を給与し、対外的緊張緩和を図りました。薪水給与令は天保の改革の一。
6.アメリカ捕鯨船受入れ
弘化二年三月一一日(1845年4月)米国捕鯨船マンハッタン号が鳥島で11人の日本人を発見。釜石から出発した南部藩難破船11人も救出し、日本へ来航。幕府は薪水給与令発令により漂流民を受け入れました。
7.東インド艦隊 初来日
同三年閏五月二七日(1846年7月)米国東インド艦隊司令長官ビッドルが、交易を開くため浦賀に来航。幕府から国禁と告げられ退去しました。
8.日本初の英語教師
嘉永元年(1848年6月) 米国・ラゴダ号船員15人が船長とトラブルを起こし箱館近辺に上陸。松前藩の役人に捉えられ長崎へ護送。うち一人は日本初の英語教師となりましたが、反面船員に踏み絵を強要しました。これにより米国側は日本と協定を結ぶ必要があると考えました。
こうした流れを経てついに、招かれざる客?ペリーが米国艦隊を率いて来日します…
参考文献
後藤敦史『忘れられた黒船』(講談社、2017年)