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黒船来航11

オールコックとは 英国初代駐日公使の外交

イギリスでは一時期、日本をアジアにおける大英帝国にたとえる議論が盛んだったことがあります。…そこにはひとつだけ、反論の余地がないあきらかな事実がありました。それはこの両国が、いずれも海にかこまれた島国であり、国家の運命がその島国という条件によって大きく左右されてきたという事実です。J.M.ロバーツ『世界の歴史5 東アジアと中世ヨーロッパ

オールコックとは

プロフィール

オールコック
オールコック

オールコック(Rutherford Alcock:1809~1897)は、イギリスの初代駐日公使。

医学を修め、軍医として活躍も負傷したことで外交官に転じ、福州領事を経て初代駐日公使となりました。著作は三年間の在日記録『大君の都』。

総領事ハリス帰国後の幕末日本は、意外にもオールコックの動きに注目するとわかりやすいです。然しながら前提として、本国(英国)の社会情勢と外交姿勢について見ておく必要があります。

英国の砲艦外交

享保の改革を行った徳川吉宗死後、1760年代の英国では、産業革命の力を背景に自由貿易主義が形成されました。

幕末、日本で大地震があった安政年間より、パーマストマン(1784-1865)英首相(1855-58,59-65)は、砲艦(ほうかん)外交を展開。これは港に砲艦をおいて、軍事力行使の可能性をちらつかせながら、外交の成果を勝ち取る手法です。

一方蒸気軍艦の展開には、燃料の石炭の補給基地確保が必須条件。実際英国は地中海沿岸からアフリカ大陸北西部沿岸~喜望峰、アラビア半島南部沿岸、インド沿岸、香港・上海まで一応の世界配備をなしとげました。

イギリス産業資本の確立は、極東日本をも世界市場のなかに組み込まざるをえず、現地権力が非協力的な場合、武力を背景とした強要が必要だというのが、初代駐日公使オールコックの一貫した主張でした。

ハリスとの関係

米総領事ハリスとは悉く対立。ハリス帰国後、対日外交の主導権を握りました。しかし日本では攘夷が激化。高輪の東禅寺に居住していたオールコックは、水戸浪士らに東禅寺が襲撃されることに。

加えて生麦事件を背景に英国は攻撃目標を薩摩へと向けていくのでした…

参考文献

黒船来航史

6.日米修好通商条約 7.井伊直弼 8.安政の大獄 9.桜田門外の変

10.尊王攘夷 11.オールコック 12.対英攘夷事件

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