日米修好通商条約
背景
ペリーが日本と締結した日米和親条約後、同条約の実効性の確認も含めロジャース率いる米国測量艦隊が来日。所が前項で見たように(米国から見て)通り開かれた日本にはなっておらず、逆に日本側は日米和親条約以上のことを要求してくるという「発見」がありました。
日米協約
米国側は現状を打破すべく1856年(安政三)8月21日、今度は総領事という肩書を持つ外交官ハリス[註1]52歳が、通訳のヒュースケン[註2]24歳を伴って伊豆下田に着任。
このコンビはちょっと変わっていて、ハリスは進学を諦めるも努力の末、ニューヨーク市教育委員長。ヒュースケンはオランダに生まれ、ニューヨークへ移民。という経歴の持ち主でした。
翌年6月17日に日米和親条約改定版にあたる日米協約(下田協約)が結ばれました。1858年7月24日(安政五年六月一四日)ハリスは、アロー戦争に勝利した英仏艦隊がいよいよ日本へ渡来すると予告。延期されていた条約調印を急ぐように警告しました。
日米修好通商条約
1858年(安政五年六月一九日)には、ハリスと下田奉行井上清直・目付岩瀬忠震(ただなり)との間で日米修好通商条約が結ばれました。
すなわち幕府は勅許なしで条約に調印。英仏両国進攻を巧みに利用し、同時にその防壁としての米国の友好的姿勢を印象づけようとしたハリス外交の勝利でした。
内容
日米和親条約の下田(静岡県、伊豆半島の南東端下田湾)・箱館(函館)に加え、新たに神奈川(横浜市神奈川区)・長崎(長崎市)・新潟(新潟市)・兵庫(神戸市兵庫区)が開港。これらは全て幕府領。
新潟は日本海岸唯一の開港場で、再三の延期で1868(明治元年)に開港しましたが、実際に来航した外国船は少なかったです。
また、江戸・大坂の開市(かいし,商取引)、自由貿易、信教の自由などに関して取り決められました。然しながら関税自主権がなく、領事裁判権(外国人が在住国の法による裁判を受ける権利)を与え、居留地を設けるなどの不平等条約でした。
評価
しかし当条約締結こそが中国と日本の出発点の違い。いったん戦争ともなれば、その結果、莫大な賠償金と領土割譲の「懲罰」が待ち受けていたはずであり、幕府の交渉能力の高さと避戦主義は評価できます。
安政五か国条約
同年ほぼ同じ内容の条約を蘭・露・英・仏とも結ばれ、安政五か国条約とも言います。 これにより貿易が開始されましたが国内経済が混乱し、尊王攘夷が激化しました。
ヒュースケン暗殺
開港直後、外国人は次々襲撃され、1861年(万延元年一二月)米国公使館の日本語通訳ヒュースケン[註2]が暗殺されました。しかしハリスは幕府に対して賠償金ではなく、ヒュースケンの祖国オランダの老母に扶助料一万ドルを要求し、幕府もこれを贈って解決しました。
ハリスは、さまざまな局面で幕府に対して宥和(ゆうわ)な態度をとったため、英国公使オールコックとはことごとく対立。一八六二年(文久二)ハリスが日本を去った後、対日外交の主導権はオールコックに握られていくようになるのでした。
補註
- ハリス(Townsend Harris,1804~1878):ニューヨーク州生まれ。タウンセンドは聡明だったが、貧しい家計のため進学を諦める。一六歳から兄のもとで陶磁器の輸入販売を営むもうまくいかず、教育や政治方面に情熱を傾け、四二歳でニューヨーク市教育委員長。翌年のちのニューヨーク市立大学を設立、授業料不要のフリーアカデミーを実現させた。同年母と死別。中国や東南アジアを訪れるなかで、外交官を志すようになる。1855年五一歳で初代駐日総領事。条約を締結し、帰国してニューヨーク市に戻るも、南北戦争の最中、功績は注目を浴びず、公的生活は辞した。享年74。著書『日本滞在記』。
- ヒュースケン(Hendrik C.J.Heusken,1832-1861):オランダ・アムステルダム生まれ。一五歳で学校をやめ父の商業を継ぐが死去にあい、21歳で米国ニューヨークへ行く。ハリスに雇われ、1856年に通訳官として来日。蘭・英・独・仏語に通じ、来日後に日本語を取得。日本との条約締結においてハリスを補佐。享年29。著書『ヒュースケン日本日記』
条約の改正
日米通商航海条約
日清戦争(1894-95/明治27-28)後、陸奥宗光外相時1894年(明治27)に日米修好通商条約を改正し治外法権を撤廃(1)。日露戦争(1904~05/明治37-38)勝利後に日本の国際的地位向上を背景にして、(1)の有効期限が切れる小村寿太郎外相時1911年に関税自主権が回復(2)。
(1)と(2)併せて日米通商航海条約と言う。しかし1939年、米国は日本の中国侵略に抗議して条約破棄を通告、翌年同条約は失効した。
参考文献
- 保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機-下関戦争の舞台裏』(吉川弘文館、2010年)
- 松村正義「ハリス」715頁、秋本益利「ヒュースケン」1009頁、国史大辞典編集委員会『国史大辞典〈第11巻〉』(吉川弘文館、1990年)
黒船来航史
1.大航海時代 2.ペリー来航前の黒船史 3.ペリーとは