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黒船来航史その6

日米修好通商条約とは その中身と改正まで

開港地図&ハリス

日米修好通商条約開港地とハリス

…と言わんばかりの強面(こわおもて)ハリス。

総領事ハリスが来日した背景、日米修好通商条約締結により開港された港、またその後の外交等について解説します。

日米修好通商条約

総領事ハリス訪日

背景

ペリーが日本と締結した日米和親条約後、航路開拓のため早速ロジャース率いるアメリカ測量艦隊が来日。所が前項で見てきた通り米国は、ペリー来航前と相も変わらず非協力的な日本のおもてなしを受け続けました。

日米協約

現状を打破すべく1856年(安政三)8月21日、今度は総領事という肩書を持つ外交官ハリス(Townsend Harris 1804~1878)が来日。翌年6月17日に日米協約(下田協約)が結ばれました。これは日米和親条約改定版であり、次に見る日米修好通商条約の前駆をなしました。まさに地震雷火事「親父」

日米修好通商条約

1858年(安政五年六月一九日)には、ハリスと下田奉行井上清直・目付岩瀬忠震(ただなり)との間で日米修好通商条約が結ばれました。

日米和親条約の下田(静岡県、伊豆半島の南東端下田湾)・箱館(函館)に加え、新たに神奈川(横浜市神奈川区)・長崎(長崎市)・新潟(新潟市)・兵庫(神戸市兵庫区)の開港、江戸・大坂の開市(商取引)、自由貿易、信教の自由などに関して取り決められました。

また関税自主権がなく、領事裁判権(外国人が在住国の法による裁判を受ける権利)を与え、居留地を設けるなどの不平等条約でした。

同年ほぼ同じ内容の条約をオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも結ばれ、安政五か国条約とも言います。 これにより貿易が開始されましたが国内経済が混乱し、尊王攘夷が激化しました。

日米通商航海条約

日清戦争(1894-95/明治27-28)後、陸奥宗光外相時1894年(明治27)に日米修好通商条約を改正し治外法権を撤廃(1)。日露戦争(1904~05/明治37-38)勝利後に日本の国際的地位向上を背景にして、(1)の有効期限が切れる小村寿太郎外相時1911年に関税自主権が回復しました(2)。

(1)と(2)併せて日米通商航海条約と言います。しかし1939年、アメリカは日本の中国侵略に抗議して条約破棄を通告、翌年同条約は失効しました。

黒船来航史

1.大航海時代 2.ペリー来航前の黒船史 3.ペリーとは

4.ペリー来航 5.阿部正弘の決断 6.日米修好通商条約

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