解説
引札暦とは
私ははじめ、埼玉県立文書館でこの史料を見つけて、なんじゃこりゃ?と思って、とりあえず写真撮影。その後、地元の図書館で調べてみると引札暦(ひきふだこよみ)なるものと判明。
引札暦とは、今日の広告用チラシを古くは引札と呼んだところから、暦の付いている引札を引札暦と称しました。明治一五年まで略暦の部分は弘暦者(暦を作る人)の編集したものでなければなりませんでしたが、明治一六年からその制約がなくなりました。
その結果、引札暦はデザイン面でも自由になり大いに流行。このころ新聞や書籍は、活版印刷が行われるようになりましたが、多色刷ものはまだ木版手摺の時代。引札暦は、木版の絵師・彫師・摺師たちの活躍の場を提供したのでした。
史料解読
以上を踏まえて史料を改めて鑑賞。紙荒物とあり、荒物(あらもの)とは粗末なもの、雑なものの意で、今でいう文房具屋さんといった所でしょうか。武州小川町は、恐らく現在の埼玉県比企郡小川町(おがわまち)。お店の意匠と主人の名が記されています。
引札暦と言っても史料は、紙面の半分以上が「商」の文字の間に七福神が顔を出す、商売繁盛を願ったイラストが占めています。略暦として暦は、左上におまけ程度に付いているだけ。(笑) 然しながら次項から、このおまけの部分を解読していきたいと思います。
参考文献
史料情報
- 表題:武州小川町 紙荒物 新井茂三郎[引札]
- 明治25年11月/日印刷出版、印刷兼発行者・横山良八
- 埼玉県立文書館寄託 小室家4825
- 当サイトは埼玉県立文書館から掲載許可を頂いてます。
- ※無断転載を禁止します。
引札暦
新暦(太陽暦)
旧暦(太陰暦)
16.旧暦の大小