解説
国家が定める現在の国民の祝日は、戦前の祝祭日に起因するものが少なくありません。
江戸時代は、それぞれの村や町が村人・町人の生業のリズムに合わせて休日を定めていました[註1]。
明治政府は、明治五年(1872)に太陽暦の採用を決定。また祝祭日が定められました。祝日は国家を祝う国民行事で、祭日は宗教の祭典を行う日。最も重要な祭日は大祭日と言います。
大祭日(七日)
- 元始祭、春季皇霊祭、孝明天皇祭、秋季皇霊祭、神武天皇祭、神嘗祭、新嘗祭
祝日・三大節
- 四方拝、紀元節、天長節(昭和になって明治節が加わり四大節となる。)
これらの祝祭日[註2]は皇室中心で神道一色でした。上記史料は明治二六年の略暦と呼ばれる引札暦で、祝日は赤い枠の中に書かれています。内容は以下の通り。
1.四方拝 一月一日(現・元旦)
しほうはい。元日に行われる朝廷行事で、天皇が天地四方の神を拝み、五穀豊穣や天下泰平を祈る儀式。明治一二年(1879)制定。
2.元始祭 一月三日
げんしさい。宮中祭祀の一つで、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で、天皇自ら皇位の原始を祝い、皇祖以下祖霊、諸神をまつる祭儀。明治六年(1873)に正式に決定。
3.孝明天皇祭 一月三〇日(先帝祭)
こうめい-てんのうさい。先帝の崩御日を祀る祭。明治時代は孝明天皇祭、大正時代は明治天皇祭で七月三〇日、昭和時代は大正天皇祭で一二月二五日。
4.紀元節 二月一一日(現・建国記念日)
きげんせつ。明治政府により神武天皇即位の日として定めたられた国家の祝日。現在は「建国記念日」として、国民の祝日。明治五年(1872)制定。
5.春季皇霊祭 三月二〇日(現・春分の日)
しゅんき-こうれいさい。春分の日に天皇・皇后が出席して、皇霊殿で行われる先祖祭。明治一一年(1878)制定。
6.神武天皇祭 四月三日
じんむ-てんのうさい。神武天皇崩御の日とされる。明治三年(1870)に始まる。
7.秋季皇霊祭 九月二三日(現・秋分の日)
しゅうき-こうれいさい。秋分の日に天皇・皇后が出席して、皇霊殿で行われる先祖祭。現在では「秋分の日」として国民の祝日。明治一一年(1878)制定。
8.神嘗祭 一〇月一七日
かんなめさい。天皇がその年の新穀を伊勢神宮に奉納する祭儀。明治一二年以降、一〇月一七日に執り行われる。
9.天長節 一一月三日(現・文化の日)
てんちょうせつ。天皇誕生日。3の先帝祭同様、代ごとに代わる。明治天皇誕生日は明治節(一一月三日)として昭和二年(1927)に決定される。現在この日は文化の日。昭和天皇誕生日(昭和の日)は四月二九日、今上(きんじょう:当代)天皇誕生日は二月二三日として国民の祝日。則ち現在は、新旧の天長節が三日アリ。
10.新嘗祭 一一月二三日(現・勤労感謝の日)
にいなめさい。天皇が新穀を神々に備え、自らも食して収穫を感謝する祭事。新嘗祭は古代からの新穀感謝祭で、明治五年の改暦以前は一一月の第二の卯の日に行われた。現在では「勤労感謝の日」として国民の祝日。
補註
参考文献
- 松井吉昭「国民の祝日」『暦を知る事典』(東京堂出版、2006年)214-215頁
- 岡田芳朗『明治改暦-「時」の文明開化』(大修館書店 、1994年)
- 大藤修『近世村人のライフサイクル(日本史リブレット)』(山川出版社、2003年)55頁
- 北原保雄(著、編集)『明鏡国語辞典 第二版』(大修館書店 第二版、2010年)
史料情報
- 表題:武州小川町 紙荒物 新井茂三郎[引札]
- 明治25年11月/日印刷出版、印刷兼発行者・横山良八
- 埼玉県立文書館寄託 小室家4825
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引札暦
新暦(太陽暦)
旧暦(太陰暦)
16.旧暦の大小