村数
江戸時代の村の数(天保五年)は約63,000。現在の市町村数1,800。よって一つの市町村に35程度の村があったことになります。
村高、面積、人口
江戸時代の村高平均は五〇〇石、耕地面積五〇町、農村戸数四〇~五〇戸、人口は約四〇〇人。江戸時代の村は、今日の市町村に比べて小規模だったため、人々の結びつきは強いものでした。
各々の村高など基礎データについては、各々の村に残されている村明細帳を見ればわかります。例えば文化一三年、大岡忠相が検地した幕府領の武州多摩郡大沼田新田(東京都小平市)の石高は約三二〇石、田畑面積は一二三町、家数四五軒となっています。
村方三役
- 名主(なぬし):村役人の長
- 組頭(くみがしら):名主の補佐役。年寄(としより)とも呼ぶ。
- 百姓代(ひゃくしょうだい):百姓の代表。
高掛り三役
高掛り(たかがかり)三役の記載があった場合、その村は幕府領。村高に応じて課せられる百姓役です。
割地(わりち)
村社会の衰退
近世の村社会は、ひとつの土地は個人のものではなく、村全体のものである場合が多く、村の人々は、名主をはじめ村全体で支えあって生きていました。
しかし近世中期以降は、自然災害による耕地の生産能力の低下。また農作物を大量消費する都市江戸に年貢を搾り取られ、村では無宿が増加。幕府は様々な政治改革を断行するも、村は機能しなくなり衰退していきました。
参考文献
秋山高志、前村松夫、北見俊夫、若尾俊平 編『図録 農民生活史事典』(柏書房、1991年)