旗本とは
1.給与
旗本とは、将軍家直属の家臣。知行高一万石未満の、将軍と謁見できる御目見(おめみえ)以上の身分で、約五〇〇〇家あります。
御目見以下の多くの侍が、幕府から俸禄米を支給されるのに対し、旗本は知行所を与えられています。旗本知行高は一〇〇~五〇〇石、幕府直轄領の四割を占めます。
2.居住地
旗本居住地は、幕府から与えられた知行地(農村)ではなく、将軍が住まう江戸です。
前頁・相給とはで解説した武州男衾郡板井村(埼玉県熊谷市)の例でいえば、旗本長塩・牛奥・亀井の三氏は、証文(リンク先)を見ると、一見知行所である板井村に居住しているような錯覚を起こしますが、あくまで江戸に居住しています。
3.知行地との関係
旗本と村は、親子関係なところもありました。知行地が不作だったり何か事件などあったりはしないか、旗本は村の相談を受けたりを村を見廻ることもありました。
例えばこちらの済口証文(寛政一〇年,1798)において、旗本三枝氏が知行地(武州入間郡平山村)のアルコール依存症者を引き取って更生を試みていることが確認できます。
一方荻生徂徠は『政談』で武士が田舎に住むことを推奨していましたが、幕府がこの案を取り上げることはありませんでした。
さて旗本知行地といえど、国有地を預かっているのであり、旗本は西洋の領主のように農地を取り上げて牧場としたり遊猟地とするために囲い込みができませんでした。却って農民の方がむしろ地主であって、土地売買(質地証文)が黙認されていました。
旗本はあくまで幕府のイチ役人ですので、その知行地は幕府の代官が支配し、旗本は俸禄米だけを支配していたのでした。
参考文献
新見吉治『旗本(日本歴史叢書新装版)』(吉川弘文館、1995年)