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証文・手形など

江戸時代の質入れ 質地証文1-1 解読文

史料

質地証文

※無断転載禁止

解読文

原文

質地証文之事/一 下畑荒山壱反壱畝十五歩 字立野面二而/此代金三分也

右者年々御年貢未進金ニ差詰候ニ付、右之荒畑山年賦二相渡書面之金子借用申所実正二御座候、但年季之義者、当子年来ル子年迄弐十五ヶ年季二相定申候上、年季明地代金壱両返済仕候ハヽ、上木伐取地所無相違御返可被成候

尤御年貢諸掛り等貴殿方二而、御勤御支配可被成候、此地ニ付先判書条決而無御座候、若脇ゟ触申者御座候ハヽ加判人立合、急度埒明可申候所御年賦証文依而如件

名主 源兵衛、名主 平兵衛/天保十一庚子十一月日/一 永四十三文八歩五リン 反ニ三七文取/たよとの

>>読み下し文

現代語訳

私の下畑荒山の面積は一一畝一五歩、字(あざ)・立野(たての)に面します。借り入れた金額は三分(およそ60,000円)です。

私は毎年、年貢を期限に完納できず行き詰まったので、この荒畑山を質としてお渡しするこの証文の申し上げることは確かです。契約期間は、当年より次の子年まで二五ヶ年に定めます。

質入れ期間に空き地代・金一分(約20,000円)を返済しましたら、(利用価値のある)上木は切り取り、土地だけは間違いなくお返しください。もっとも年貢諸役などは、貴殿がお勤めし指図にお従いください。この地に付き、先に作成された証文は決してありません。

もし脇より異議を申す者がありましたら、保証人が立合いきっと埒明け申します。年賦(ねんぷ)証文はこの通りです。

名主 源兵衛、(武州男衾郡板井村:埼玉県熊谷市)名主 平兵衛/天保(江戸後期)一一年子一一月/四三文八歩五厘、一反あたり永三七文取り/たよ殿

用語解説

  • 立野(たての):領主の直轄地で農民の一般的利用を禁じた原野。
  • 年賦(ねんぷ):納付または返済すべき金額を年額いくらと割り当てて払うこと。年払い。
  • 明地(あきち):空き地のこと。建物も建っておらず、耕作もされていない土地。

質地証文とは

質地証文とは、田畑・屋敷地などの質入れを証明する書付です。

古文書の学習をある程度進めると、質地証文に多々出くわしますが、まともに向き合ったことのある人って、そうそういないと思います。文字量も少なくなく、難しそうに見えるので無理もありません。

しかし江戸時代特有の土地の質入れの慣行とを知れば、思いのほかハードルは下がります。また質地証文といえど、所詮は契約書。書くことも概ね決まり切っているので、左記リンク先で書式を確認してみてください。

史料の現代語訳は『こもなれ』担当編集者で古文書にとても詳しい小代さんに助けていただきました。

読み下し文

質地証文の事/一 げばた荒山壱たん壱せ十五ぶ あざたての面にて/この代金三分なり

右は年々御年貢未進金に差詰め候につき、右の荒畑山ねんぷに相渡し書面の金子借用申すところ実正に御座候、但し年季の義は、当子年より来る子年まで弐十五ヶ年季に相定め申し候うえ、年季あきち代金壱分返済仕りそうらわば、上木地所きり取り相違無く御返し成さるべく候

もっとも御年貢諸掛り等、貴殿方にて御勤め御支配なさるくださるべく候、この地につき、せんぱん書条けっしてござなく候、もし脇より触り申す者ござそうらわば、かはんにん立合いきっと埒明けもうすべく候ところ、御年ねんぷ証文よってくだんのごとし(以下解読文に同じ)

参考文献

日本歴史学会『演習古文書選(近世編)』(吉川弘文館、1992年)「57・58 質地証文」89-90頁 参照

史料情報

  • 表題:質地証文之事(下畑・荒山、壱反壱畝十五歩)
  • 埼玉県立文書館所蔵 飯島家397
  • 当サイトは同館から掲載許可を頂いてます。
  • ※無断転載を禁止します。

証文・手形など

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