解読文
原文
差上申一札之事/一 首縊人之死骸仮埋ニ致置、人相・年齢・着服并相果居候、始末月日等委細二認、村外往還端ニ致建札置、六ヶ月見合尋来候者無之候者、建札取除死骸者其儘、土葬二可致旨、村役人共江申付雑物并銭者手懸候、番非人拠江為取候共、勝手次第致、村役人共訴致延引候段不念二付、
一同急度叱り置候様可致旨、板倉佐渡守様被仰渡候段、御書付を以、御支配様ゟ被仰渡候条、右被仰渡候趣、逸々可令承知候
>>読み下し文
現代語訳
書面を差し上げて申し上げます。一 首吊り人の死骸は、仮に埋めて置きました。人相や年齢、着服並びに事件の始めと終わりの月日など詳しい事情をしたため、村外の往来する端に建札(たてふだ:掲示板)を置きました。六ヶ月見合わせ、尋ね来る者がいなければ建札を取り除き、死骸はそのまま土葬にします。
この旨を村役人どもへ言い付け、遺された物やお金は手懸りとします。番非人(ばんひにん:村の番人を務めた非人)の所で取り計らい、勝手次第にして、村役人どもが訴えを遅らせるようなことがありましたら、一同必ずお叱りを受けるべきです。
その旨、板倉佐渡守様(上野安中藩主、老中)からご命令されたことを、書面をもって御支配様(代官)より言い付けられたことをことごとく承知させます。
解説
武州男衾郡板井村に首吊り人の死骸が発見され、その一件とその後の対応について村役人が地頭所(当村に知行を得る旗本)に伝えている文書。
村には町奉行などいませんから、五人組の相互監視体制のもと、村が治安維持を担っています。かくして首吊り人は誰だかわからないので、村外の人と推測されます。
首吊りの理由については、史料は安永六年(1777,江戸中期)の文書ですが、村の荒廃もまだそれほどひどくなく、地震などの自然災害は特にないと思います。戦争もありませんが、奉公人請状・不義密通・アルコール依存などの史料からもわかるとおり、男性でも女性でも決して楽な時代ではなかったと思います。
当文書は解読も内容把握も意外に難しく、大学の専門家の先生方やサイト訪問者さんの方々にご協力いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
読み下し文
差上申す一札の事/一(ひとつ) 首縊人(くびつりにん)の死骸仮埋(かりうめ)に致し置き、人相・年齢・着服ならび相果居(お)き候
始末月日等委細に認(したた)め、村外往還端に建札(たてふだ)致し置き、六ヶ月見合尋ね来る候は、これ無き候は建札取除き死骸はそのまま、土葬に致すべく旨、村役人共へ申付雑物ならび銭は手懸り候、
番非人よんどころへ取らせ候とも、勝手次第致し、村役人ども訴え致し延引候だん、不念(ふねん)に付、一同急度(きっと)叱り置き候様(そうろうよう)致しべく旨、板倉佐渡守様仰せ渡され候だん、御書付をもって、御支配様より仰せ渡され候条、右仰せ渡され候おもむき、逸々(いちいち)承知せむべし候
史料情報
- 表題:差上申一札之事(首縊人之死骸処理、並ニ変死等ニ付)
- 年代:安永6年酉.12./出所:百姓代蔵之介ほか、宛所:御地頭所衆中 御役人
- 埼玉県立文書館所蔵 飯島家522
- 当サイトは同館から掲載許可を頂いてます。
- ※無断転載を禁止します。