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江戸時代の不倫を「済口証文」から紐解こう!

史料

済口証文

※無断転載禁止

解読文

原文

乍恐以書付奉申上候

御知行所 武州男衾郡坂井村 平兵衛奉申上、御相給 亀井与十郎様 御知行所・同村百姓 蔵之助後家とわ、富次郎迄江相懸ノ不法出入申立奉出訴候一件、

御吟味以前御座候所、長命寺并武右衛門両人取扱立入右一件、双方無申分熟談内済仕候ニ付、此段書付を以御届ケ奉申上候、以上

御知行所 武州男衾郡坂井村 名主平兵衛/嘉永元申年十月十八日/御地頭所様 御役人中様

>>読み下し文

現代語訳

恐れながら書面をもって申上げます。御知行所の武州男衾(おぶすま)郡板井村・平兵衛が申し上げます。

相給(一村を複数の領主が分割知行する)亀井与十郎様 御知行所の我が百姓・蔵之助の後家(未亡人)とわより富次郎とが関係を持ちました。

この不義密通の紛争を申し立てた訴えについて、御尋問を受ける前に長命寺並び武右衛門が両人の取扱いに立入り、双方の申分なく熟談のうち和解しました。この件について書面にて御届け申し上げます。以上

御知行所 武州男衾郡板井村(埼玉県熊谷市)名主平兵衛

嘉永元(江戸後期)年十月十八日/御地頭様(旗本長塩カ[]) 御役人の方々様

解説:済口証文とは

済口証文(すみくち-しょうもん)とは、内済(ないさい)証文または内済取替(とりかわし)証文とも言い、紛争の対立者の間で和解が成立した時、和解事項を記した同内容の証文を当事者同士が取り交わしました。

また調停者がいればその人にも双方が捺印して渡し、訴訟事件であれば奉行所に同文で報告。民事裁判では、なるべく内済するよう奉行所で調停する人を世話をすることもあり、済口証文は判決書に等しい重さを持ちました。

江戸中期、不義密通は死罪とされましたが、江戸末期になると死罪のような極刑に処する判例や法令は見えなくなりました。史料は、和解が成立した紛争について当事者の村の名主が役所に報告している済口証文です。

補註

当村は長塩氏・牛奥氏・亀井氏の旗本三給と天領(幕府領)が支配する村である。宛所の「御地頭様」は旗本三人の何れかになる。史料でわざわざ「御相給」亀井与十郎様地頭所様としたのは、宛所は別の旗本なのだろう。残るは二人、当村の名主(飯島家)は旗本長塩の代官を勤めていたこともあり、長塩を採用した。

参考資料

読み下し文

恐れながら書付を以て申上げ奉り候

御知行所武州男衾(おぶすま)郡坂井村平兵衛申上げ奉り候、御相給(あいきゅう)亀井与十郎様御知行所・同村百姓蔵之助後家とわより、富次郎までへ相懸けの不法出入り申立て出訴奉り候一件、

御吟味以前御座候ところ、長命寺ならび武右衛門両人取扱い立入り右一件、双方申分無く熟談内済仕り候に付き、この段書付を以て御届け申上げ奉り候、以上(以下解読文に同じ)

史料情報

  • 表題:乍恐以書付奉申上候
  • 埼玉県立文書館所蔵 飯島家529
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  • ※無断転載を禁止します。

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