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吉田市右衛門3

村の由緒

史料

本文冒頭_吉田市右衛門文書3 

※無断転載禁止

問題

私(三代 市右衛門)の祖父は、元々どこの村の人だったでしょうか。史料から紐解いてみましょう。

解読文

原文

乍恐以書付奉願上候

植村八郎右衛門知行所・武州幡羅郡下奈良村・名主吉田市右衛門奉申上、私儀三代以前祖父市右衛門、享保十一午年村続四方寺村・名主六左衛門、六代已然六左衛門弟ニ而、先祖六左衛門ゟ田畑高六百石余所持仕、慶長年中下奈良村ニ出作高百石余有之候、内祖父市右衛門田畑四町四反歩譲受、当村百姓罷成、然処

読み下し文

恐れながら書付けをもって願上げ奉り候

植村八郎右衛門知行所・武州幡羅郡下奈良村・名主吉田市右衛門申し上げ奉り候、私儀三代以前祖父市右衛門、享保十一年村続き四方寺村・名主六左衛門、六代いぜん六左衛門弟にて、先祖六左衛門より田畑高六百石余所持仕り、慶長年中より下奈良村ニ出作高百石余これ有り候、内、祖父・市右衛門田畑四町四反歩譲り受け、当村百姓まかり成る、しかるところ

現代語訳

恐れ入りますが、書面をもってお願い申し上げます。

植村八郎右衛門知行所・武州幡羅郡下奈良村(埼玉県熊谷市)名主吉田市右衛門が申し上げます。この村は、私の三代前・祖父市右衛門の代にあたる享保十一年より預かっています。

祖父は、四方寺村(同市)名主・六左衛門の六代前の六左衛門のです。祖父は、先祖六左衛門より田畑高六百石余所持していました。

慶長年中より下奈良村に出かけて高一〇〇余を耕作し、このうち祖父市右衛門は、田畑四町四反歩を譲り受け当村の百姓となりました。ところが、…

MEMO

私(市右衛門)が奉行所へお願い申し上げるにあたって、村の由緒にして自分の祖父についての話から始まります。先祖信仰に通ずるものがあります。

史料情報

  • 表題:記録二
  • 年代:文政11.10./出所:吉田市右衛門
  • 埼玉県立文書館所蔵 吉田(市)家7
  • 当サイトは同館から掲載許可を頂いてます。
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吉田市右衛門

1.吉田市右衛門とは 2.文書概要 3.村の由緒 4.父の事業

5.人口減少 6.父の遺言 7.水害の影響 8.幕府へ貸付

9.水害村救済 10.結びの言葉 11.差出人と宛名

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