史料 表紙
吉田市右衛門とは
吉田家は江戸時代、武蔵国 幡羅(はら)郡 下奈良(しもなら)村(埼玉県熊谷市)の名主家。
初代・市右衛門が下奈良村に土地を得て、二代・助左衛門は酒造りを始めて造った酒は江戸に送って販売。
三代・市右衛門の代には、江戸の一等地である日本橋や京橋を中心に十一か所土地を保持。そこを人に貸して地代や店賃(賃借料)収入を得ていました。
これにより同家は下奈良村では名主、江戸では町人という二つの顔を持っていました。
さて下奈良村は、幕府領で利根川と荒川に挟まれた所にあり、天明の大飢饉(浅間山噴火)以後、村人の生活は困窮。一方で公儀(幕府)が、積極的に対策を打ってくれるわけでもありません。
ここで江戸の金融活動や酒や米の販売で、多額の資金を得た三代・市右衛門宗敏(むねとし)が立ち上がります。吉田家の中で就中(なかんずく)、三代・市右衛門は熊谷の地元のヒーローという枠を超えて、農村史の研究者(それ自体僅少ですが)の間では割と知られた人物。
市右衛門のしたたかさと仁、そして志を、史料から是非読み取ってみてください。
史料情報
- 表題:記録二
- 年代:文政11.10./出所:吉田市右衛門
- 埼玉県立文書館所蔵 吉田(市)家7
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参考文献
- 渡辺尚志『百姓たちの江戸時代』(筑摩書房、2009年)「第三章 働く百姓たち」85-89頁