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吉田市右衛門8

幕府へ貸付

史料

幕府への貸付_吉田市右衛門8 

※無断転載禁止

問題

私(三代 市右衛門)は、困窮村を救うため、どのような手段に出ましたが。史料から紐解いてみましょう。

解読文

原文(右頁)

恐入候得共、可相成御儀ニ御座候ハヽ右金千両、御公儀様江奉上納、最寄御陣屋御代官様ニ而成共、御貸附被成下、右利潤金年之六百両分当村江被下置、弐百両分ハ四方寺村江被下置、

両村給之御地頭取極年毎ニ御渡被成下置、追々百姓取立并困窮之百姓取続相成候様、御趣意御達ニ相成候様仕度、両村ニ而茂右利潤金大切ニ取扱追々

読み下し文

恐れ入りそうらえども、相成るべく御儀に御座そうらわば右金千両、御公儀様へ上納奉り、最寄り御陣屋御代官様にて成りとも、御貸附けくだされ、右利潤金年の六百両分当村へくだし置かれ、弐百両分は四方寺村へ下し置かれ、

両村これを給い、御地頭取り極め年毎に御渡し成し下し置かれ、追々百姓取り立てならび困窮の百姓取り続き相成そうろうよう、御趣意御達しに相成りそうろうよう仕りたく、両村にても右利潤金大切に取り扱い追々

現代語訳

(<<水害により他村についても何卒)恐れ入りますが、このような事態になってしまいましたので、右金一〇〇〇を御公儀様(幕府)へ上納し、最寄りの御役所・御代官様にお貸付いたします。

右利潤金・年六〇〇両分は当村へ、ニ〇〇両分は四方寺村へ与え、両村はこれ頂戴します。御奉行様はこれを決定して、年毎に利潤金をお与えいただき、次第に百姓を救い並びに困窮の百姓が生活できるよう、お考え・ご通達になりますようお願いします。両村にても右利潤金を大切に取り扱い、次第に…

解説

用語

  • 候得共(そうらえども):~ですが。
  • 趣意(しゅい):考え、意見。

吉田家の出金

吉田家の出金の特色は、一旦幕府や大名に上納し、幕府や大名がそれを他に貸付て、その利子を公益事業に充てることです。

この方法の長所は3つ、1.毎年入る利子収入によって安定した事業資金を確保できること、2.吉田家が直接貸付るより幕府などに貸付た方が権威があり、3.借り手が確実に返済することにありました[1]。

さて江戸時代無尽(むじん)という名の経済的ながあり、民間レベルでは貨幣または財物や労力を、あわせあって共同で融通しあっていました。よって「貸付け」自体は珍しいことではありません。

然しながら百姓が「幕府」に貸付けるというのは、幕府に損はないとはいえ、当時の厳しい身分制度や忠や礼から考えると常識外れのように思えます。

史料情報

  • 表題:記録二
  • 年代:文政11.10./出所:吉田市右衛門
  • 埼玉県立文書館所蔵 吉田(市)家7
  • 当サイトは同館から掲載許可を頂いてます。
  • ※無断転載を禁止します。

補註

吉田市右衛門

1.吉田市右衛門とは 2.文書概要 3.村の由緒 4.父の事業

5.人口減少 6.父の遺言 7.水害の影響 8.幕府へ貸付

9.水害村救済 10.結びの言葉 11.差出人と宛名

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