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吉田市右衛門7

江戸時代、浅間山噴火による水害

史料

浅間山噴火による水害_吉田市右衛門7 

※無断転載禁止

問題

水害により、下奈良村の周り村の作物や住まいはどうなりましたか。史料から紐解いてみましょう。

解読文

原文(左頁)

屋敷反別も所持有之候得者、居村同様ニ無麁略相心得可申旨、是又申聞置候、右日向村之儀、当村続ニ而祖父以来屋敷反別四反歩余所持仕罷在、

殊ニ利根川辺ニ而、至而地窪之村方其上、上中条村御堤外之村方ニ而砂降已後者、大雨之節ニ度々出水いたし秋毛流失、其上百姓居立等江数日水溜りニ罷成悉百姓難儀至極仕候、村方ニ御座候、何卒奉

読み下し文

屋敷反別も所持これ在りそうらえば、居村(いむら)同様に麁略(そりゃく)無く相心得申すべく旨、是又申し聞き置き候、右日向村の儀、当村続きにて祖父以来屋敷反別四反歩余所持仕りまかりあり、

殊に利根川辺にて至って地窪の村方その上、上中条村御堤ほかの村方にて砂降り已後(いご)は、大雨の節に度々出水いたし秋毛(あきげ)流失、そのうえ百姓居立等へ数日水溜りにまかりなり、ことごとく百姓難儀至極仕り候、村方に御座候、何卒奉

現代語訳

(<<日向村の水害に見舞われた場所では、)屋敷田畑を所持しているので、本村(ほんそん:下奈良村)同様に投げやりにしないよう心得よ。」と亡父(助左衛門)はまたも私に言い付けました。

右日向村は当村付きで、祖父(初代 市右衛門)以来、屋敷田畑四歩余り所持しており、とりわけ利根川辺りに至っては窪んだ土地の村です。

そのうえ上中条村の堤防や他の村についても、砂が降った(浅間山噴火)以後は大雨の折りに度々出水して秋の作物が流失。更に百姓の住まい等へ数日水が溜り、ことごとく百姓が困難極まった村々でございます。何卒…

解説

用語

  • 候得者(そうらえば):「~したので」「~したならば」。
  • 居村(いむら):離れた所にある村の土地を出村(でむら)というのに対して本村を言う。
  • 秋毛(あきげ):秋の作物。

浅間山噴火後の農村

前項で日向村が水害に見舞われた理由について、本頁で明らかにされています。それは天明三年(1783)浅間山噴火により砂が降り、川床が高くなり、利根川辺りは窪んだ土地のためです。そのうえ上中条村なども、砂が降った以後は「出水いたし秋毛流失」し、百姓の住まい等へ数日水が溜る始末。

このような荒地増加に伴い、宗門人別帳戸籍)から外された無宿が大きな社会問題となりました。史料は文化一二年(1815)の文書ですが、ちょうど二年間前に文政改革があり、その評価を判断するにも思いのほか貴重な史料です。

史料情報

  • 表題:記録二
  • 年代:文政11.10./出所:吉田市右衛門
  • 埼玉県立文書館所蔵 吉田(市)家7
  • 当サイトは同館から掲載許可を頂いてます。
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吉田市右衛門

1.吉田市右衛門とは 2.文書概要 3.村の由緒 4.父の事業

5.人口減少 6.父の遺言 7.水害の影響 8.幕府へ貸付

9.水害村救済 10.結びの言葉 11.差出人と宛名

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