1.概要
無宿とは、村の人別帳(戸籍)から外された者のことです。江戸時代中後期、無宿が社会問題となりました。無宿は、長脇差(ながわきざし)・鑓(やり)・鉄砲で武装して横行、治安の悪化がしました。ちなみに百姓に対する刀狩は、遡ること秀吉の頃から鉄砲も含みます。
2.背景、理由
関東で無宿が横行し、徒党を組んで横行するようになるのは、自然災害などを背景に天明・寛政から文化・文政期(1804~1830)にかけての村落の荒廃が最も深刻化した時期でもありました。
貧窮による離村などから始まり、欠落・勘当による親類関係の断絶、追放刑の処せらた者は居村・居町に居住できず人別帳から削除されるなどの理由からも無宿となります。周りが何とか社会復帰させようと奮闘するも、村から無宿を出してしまった例として史料・アルコール中毒の喜平次をご参照ください。
3.対策
無宿の増加は本百姓崩壊、幕藩体制の危機を意味し、幕府もただ手をこまねいているわけではありません。無宿を取り締まるため幕府は、文化二年(1805)関東取締出役(八州廻り)設置。続いて同一〇年(1827)文政の改革の法令で無宿について、以下を原則としました。
- 武装集団化して横行する者は死罪
- 罪をおかした悪党は組合村で対応
- 無実の無宿・有宿は帰農させること
- 村で無宿を作らないこと
文政改革のキモが無宿対策で、法令に示されているように無宿取り締まり、村から無宿を作らないように組合村も創設しました。
参考文献
- 所沢市史編さん委員会編『所沢市史上』(所沢市、1991年)