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江戸幕府の改革

関東取締出役とは 八州廻り、犯罪減少なるか

組織図

関東取締出役_組合村の組織図

解説

概要

宗門人別改帳の戸籍)から外れた者、いわゆる無宿(むしゅく)を取締り、また村から無宿を出さないよう幕府は、文化二年(1805)関東取締出役(かんとう-とりしまり-しゅつやく、でやく)を設置しました。

八州廻り、八州取締役、出役(しゅつやく)とも呼ばれています。

組織、役割

関東取締出役は、関東代官の手代・手附から二名ずつ、勘定奉行直属の下二名、計八名が任命され、二名一組でたえず水戸藩領を除く関東八か国を巡回。犯罪者や無宿者を取り締まりました。

最初六人で回っていましたが、「泣く子も黙る」八州取り締まりについているといばれるので、道案内役は増えていきました。

幕府は文政の改革において、関東取締出役の活動を効果的にするために関東一円に組合村を編成。その組織に依存して関東取締出役は、警察権を行使し、個別領主単位の支配を変質させていきました。

代官との違い

もともと勘定奉行の下には代官がいて村々を統括していましたが、主務は年貢の取り立てにあります。そもそも村には名主五人組などがあり、治安について代官が積極的に首を突っ込まなくても問題はなかったでしょうし、首を突っ込んだところで点数にもなりません。

結果

八州廻りの登場により、無宿者が根絶やしにされたかというと、さにあらず。小物は容易に捕えれても、大物は巧みに網の目を潜(くぐ)り抜けるのはいつの世も同じ。

上野(こうずけ:群馬県)の国定忠治(くにさだ-ちゅうじ)は、彼の強力な組織により、追手をのがれ逃げ回ることができました。且つまた忠治のは、名主・道案内・番太ばかりか出役にまでばらまかれていました。

嘉永三年(1850)に忠治は処刑されましたが、その後も出役は増員され、犯罪件数は減るどころか増え続けたことを物語っています。出役もさることながら、その下の組合村編成も理解に苦しみます。

参考文献

  • 三宅孝太郎「関東取締出役(しゅつやく)」『江戸役人役職大事典』(新人物往来社、1995年)114~117頁
  • 「第三節 一 文政改革法令とその背景」『所沢市史上』(所沢市、1991年)772-776頁
  • 森安彦「関東取締出役(しゅつやく)」『国史大辞典 第3巻 か』897頁

幕府の改革

1.自然災害 2.享保の改革 3.寛政の改革 4.無宿

5.関東取締出役 6.文政の改革 7.組合村 8.天保の改革

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