序文
ゲーテ『ファウスト』悲劇 第一部
ファウスト:そもそも古文書なるものは、いわば、一口飲んで永久に渇きがとまる神聖な泉なのかね? 心身を爽快にしてくれるものは、きみ自身の魂のなかから湧き出なければ得られないよ。
ワーグナー:そうおっしゃいますが、いろんな時代の精神に身を置いて、むかし賢人がどう考えていたか、それから、現代のわれわれが、結局どれほどまで輝かしく進歩したか、ふりかえって観察することは、大きな喜びでございます。
ファウスト:おお、まあ、さぞ天の星にまで届く、たいした進歩だろうよ!…世のひとはきみたちをひと目見て、逃げ出すだろう。きみたちが見せるのは、まず芥溜(ごみため)か、がらくた小屋か、よくって、こけおどしの大史劇(スペクタル)だ、いかにも、あやつり人形にふさわしい、けっこうな実用向きの格言は添えてあるが!_ 1808年(文化五)
一般論
古文書(こもんじょ)とは、『三省[註1]堂 国語辞典』第四版で調べると「古い時代の文書。古い記録。」とあります。
博物館のガラスケースに入っている有り難い感じはするけれど、蛇状曲線[註2]のような筆遣いで、何が書いてあるのか全くわからない「んじゃこりゃー!」みたいな書状とか巻物とかよくありますよね? 古文書とは要するにアレのこと。
――と言ってしまいたいところですが、何を以って古文書というのか、意外に定義が難しいのです[註3]。ひとまず当サイトでは、畢竟、現代人が読めない文書が相当、としておきます。
かくしてこれを解読するには、解読するための知識や技術をそれなりに身につけなければなりません。逆に言えば不勉強の私以外の方は、コツコツ訓練を積めば必ず読めるようになるでしょう。おお、まあ、さぞ天の星にまで届く、たいした進歩だろうよ!
補註
- 三省:吾(わ)れ日に三たび吾(わが)身を省みる。『論語』学而04
- 「蛇が這うとき、それは真っ直ぐではなくただ曲がりくねりながら進むので、細かい砂の上を這う場合には…曲線を残すことになるだろう。それゆえ交互にあちらこちらへと曲がる線を蛇状曲線と呼ぶのである。上手に書くことを学ぼうという者は、このような線を完全に正しく描けなくてはならない(ペルーマン,1803:38.)」フリードリヒ・キットラー 著、大宮勘一郎・石田雄一 翻訳『書き取りシステム1800・1900』(インスクリプト、2021年)211-212頁
- 「比較的狭義に解して、記録たる日記はもとより、帳簿系図縁起等も、それが他動的のものにあらざる限りは、文書の範囲外に置く方がよろしかろうと思う。…そのあらわされたものが当人から第二者たる相手方の者へ渡さるるということは必要の条件である。いい換えれば、差出人と受取者とが必ずなければならぬ。……「八幡神社」とか「明峯寺」とかある牓示偏額にいたっては、あきらかに他に向かって働き掛ける性質のものでないから、これは文書の部類にはいらぬことになる。」伊木壽一『日本古文書学』(雄山閣出版、第三版1990年)「第二章 定義」41-49頁
古文書概論
1.古文書(こもんじょ)とは
関連記事:身近なくずし字
1.割り箸 初級 2.割り箸 中級 3.のし 4.日本酒 5.贈答品