表:二十八宿
二十八宿:星数/西洋/晋代の正史『晋書』天文誌の記述
東方蒼龍
角(カク) | 二星 | おとめ座α | 天関(天にあるとする関所の番人)。七曜の行く所。この星が明らかであると王道は太平。 |
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亢(コウ) | 四星 | おとめ座κ | 内朝(宮中で天子の居る室)。疫病を司る。 |
氐(テイ) | 四星 | てんびん座α | 王者の宿舎。后妃の府。 |
房(ボウ) | 四星 | さそり座π | 明堂(天子が政を行う殿堂。朝廷)天子府政の宮。天駟ともい、天馬(天上界にすむという馬)・車駕を司る。 |
心(シン) | 三星 | さそり座σ | 天王の正位。大辰。天下の賞罰を司る。 |
尾(ビ) | 九星 | さそり座μ | 後宮の場。后妃の府。第一夫人から順に名が付く。 |
箕(キ) | 四星 | いて座γ | 後宮妃后の府。天津。天雞。八風を司る。 |
北方玄武
斗(ト) | 六星 | いて座φ | 天廟。丞相・太宰(総理大臣)の位。兵を司る。 |
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牛(ギュウ) | 六星 | やぎ座β | 天の関梁。 |
女(ジョ) | 四星 | みずがめ座ε | 天の小府。布帛(ぬのときぬ)裁製と結婚を司る。 |
虚(キョ) | 二星 | みずがめ座β | 冢宰(ちょうさい,総理大臣)の宮。死喪哭泣(中国で親族の死を弔って泣き叫ぶ礼)を司る。 |
危(キ) | 三星 | みずがめ座α | 天府(宮中の庫)天市架屋を司る。墳墓四星も属し死喪哭泣を司る。 |
室(シツ) | 二星 | ペガザス座α | 天子の宮。清廟。 |
壁(ヘキ) | 二星 | ペガザス座γ | 天下図書の秘府。文章を司る。 |
西方白虎
奎(ケイ) | 一六星 | アンドロメダ座ζ | 天の武庫。天豕(てんし/ぶた)。大星は天豕の目。 |
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婁(ロウ) | 三星 | おひつじ座β | 天獄。犠牲(いけにえ)を飼牧することを司る。 |
胃(イ) | 三星 | おひつじ座35 | 天の食物庫。倉廩(そうりん/米穀をたくわえるところ。)を司る。五穀の府。 |
昴(ボウ) | 七星 | おうし座η | 天の耳目。旄頭。胡星。揺動すると白衣の会(大葬)がある。 |
畢(ヒツ) | 八星 | おうし座ε | 辺兵を司る。大星(α)を天高と呼ぶ。月が畢に入ると多雨。 |
觜(シ) | 三星 | オリオン座λ | 三軍(周代の兵制で大国の出す上軍・中軍・下軍各1万2500人ずつ合計3万7500人の軍隊)の候。行軍の蔵府。 |
参(シン) | 一〇星 | オリオン座δ | 天獄。斬刈(ざんがい)を司る。権衡・辺城を司る。 |
南方朱鳥
井(セイ) | 八星 | ふたご座μ | 天の南門。水衡(河川山林)を司り合わせて税務を行う。月が東井に宿すと風雨。 |
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鬼(キ) | 五星 | かに座θ | 天目。視を司る。中央の積戸は死喪祠祀を司る。 |
柳(リュウ) | 八星 | うみへび座δ | 天の厨宰(料理長)。雷雨を司る。 |
星(セイ) | 七星 | うみへび座α | 天都。衣裳文繍(いしょうぶんしゅう)を司る。 |
張(チョウ) | 六星 | うみへび座υ | 珍宝を司る。 |
翼(ヨク) | 二二星 | コップ座α | 天の楽府。俳倡(はいしょう/芸人、役者)戯楽を司る。 |
軫(シン) | 四星 | からす座γ | 車騎(兵車と騎馬)を司る。風・死喪を司る。 |
解説
二十八宿とは
二十八宿(にじゅうはっしゅく,にじゅうはっしゅう)は、横道および赤道に近い天空の部分を二十八に分け、その各々を宿と称して、それに星座名を附した中国の星座です。
中国では星が昔から多くの人々に親しまれ、李白、杜甫などの詩文に多々詠まれました。『詩経』(召南 小星)の詩は以下の通り。
「嘒(けい)たる彼(か)の小星(せうせい)は、維(こ)れ参と昴と」(微かなあの小星(しょうせい)がキラキラ光るのは、参星(しんせい)と昴星(ぼうせい)とである)
表の見方
表の四象の一・東方蒼龍(そうりゅう)の角宿を見てみましょう。角宿は星二つで成り、西洋の星座でおとめ座に当たります。晋代の正史『晋書』天文誌による星座の役割や意味も掲載しました。角宿、亢宿、氐宿、房宿、心宿、尾宿、箕宿の七宿(星座)を結ぶと、龍の象が浮かび上がります。
北方玄武(げんぶ)は、斗宿以下七宿を結ぶと亀に蛇の巻きついた姿の像が浮かび上がります。西方白虎(びゃっこ)は奎宿以下七宿を結ぶと虎が、南方朱鳥(しゅちょう)は井宿以下七宿を結ぶと鳥の象が浮かび上がります。
歴史
二十八宿の起源は中国・周(しゅう)まで遡り、後にインドに渡りインドで迷信づけられ、唐時代中国に逆輸入され、日本にも『宿曜経』(すくようきょう)として伝来。宿曜経の隆盛に伴って、これが暦にも記載されるようになりました。
二十八宿の起源は純天文学的なものでしたが、陰陽(おんみょう)道では天体の運行が人間界の一切に影響を及ぼすとして、月の二十八宿を月や日に割り当て吉凶を占うのに用いました。そして天体の位置や季節の推移を知るための二十八宿は、やがて暦注としてしか使われなくなりました。
平安時代から江戸中期までは、インド流の牛宿を除く二十七宿を採用。しかし貞享改暦で貞享二年(1685)から中国流の二十八宿を採用し、年に対しては二八年、月に対しては二八ヶ月、日に対しては二八日の周期で配当されました。
明治六年の太陽暦の際に、他の暦注と共に二十八宿の掲載が禁止されていましたが、そのあと復活し、民間暦では未だに伝統を受け継いで日の吉凶を示しています。
実例
『伊勢暦』(文久二年,1862)月の二十八宿は、正月・参宿、二月・井宿、三月・鬼宿とあり、上の表の順番通りに配当されていることがわかります。なお二十八宿中、鬼宿は最も吉日とされているので、日に配する鬼宿だけは「きしく」と暦に記載されました。
七曜
七曜(しちよう)は、古代中国の天文学で、日(太陽)と月と五惑星(木・火・土・金・水)を併せたものです。単なる日を数える手段ですが、昔の暦では二十八宿と結びついて暦に記載されます。然しながら七曜に関する迷信は余り重視されなかったようです。