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尾張藩鷹場1

鷹狩りとは その知られざる目的

鷹狩りによる身分秩序

鷹狩りによる身分秩序

鷹狩とは

鷹狩(たかがり)は、飼い慣らし訓練した鷹を山野に放って、野生の鳥・小さいけものを捕らえさせる間接的な狩猟法です。

鷹狩が百済から日本に伝えられたのは、仁徳天皇四三年(355)と言われています。鷹を飼う、放鷹(ほうよう)の遊猟は朝廷の特権であったとみられます。

鎌倉幕府の成立以降は、武家の間で鷹狩りをするようになりました。中世においては、勇壮なスポーツとして公家や武士等の間で好まれ、戦国大名は領内の地理的把握や民情視察軍事訓練などの手段としても行っていました。

江戸幕府を開いた徳川家康は、鷹を最高権力者の象徴とし、諸大名や公家に許可なく鷹狩を行うことを禁止しました。また将軍家が鷹狩によって捕えた獲物は、贈答品として諸大名に贈られました。

そのうえ家格によって下賜(かし)する獲物に差をつけました。長寿のとして貴重な御三家前田伊達島津家に、その下の家格の大名には鴨や雁(ガン)などが下賜されました。鷹狩の目的は実はこうした、将軍家による身分制度の秩序の維持にありました。

鷹狩は生類憐みの令で中断し、鷹匠・鳥見など役職や鷹場も廃止されましたが、享保元年(1716)八月、徳川吉宗が八代将軍に就任すると、享保の改革を断行し、すぐさま復活を命じました。これにより鷹は、再び権力の象徴として蘇(よみがえ)りました。

さて鷹狩を考えるうえで最も重要なのが、まさかと思われるでしょうが「鷹場」です。それは何故なのか、鷹狩を行う鷹場はどこにあるのか、次頁から詳しく解説します。

参考文献

  • 本間清利『御鷹場』(埼玉新聞社、1981年)
  • 井田実『尾張藩鷹場についての一考察「立川市史研究6 』(立川市史編纂委員会、1967年)
  • 所沢市史編さん委員会編『所沢市史上』(所沢市、1991年)
  • 宇野藍子『古文書講師になれました』(柏書房、2017年)

尾張藩鷹場

概要:鷹狩・鷹場組織御預り村と御案内役

鷹場法度:第一条~四条~七条~期限合札幕府鷹場

御用留:提灯八王子千人同心雉殺生人