下文とは
下文(くだしぶみ)は、被官に下すお役所風の文書。これに対し御教書は、私的意味の文書です。
公卿政所下文
政所の家司が出す、荘園等に関する文書。官宣旨の式による公卿政所下文をもって命令しました。
式:(書出)何々家(け)政所下(くだす)
- 摂政家政所下
- 関白家政所下
- 太政大臣家政下
鎌倉幕府政所下文
治承(じしょう)四年(1180)源頼朝は、富士川の戦いのあと、侍所(さむらいどころ)を設け、御家人を統率。元暦(げんりゃく)元年(1184)には、公文所(くもんじょ)と問注所(もんちゅうじょ)を開きました。
公文所はのちに整備され政所(まんどころ)と改称され、一般の政務や財政事務を管掌。問注所は訴訟・裁判処理機関。
頼朝が武家政治を行うに及んで、藤原氏に倣って下文および御教書を出しました。鎌倉時代の下文には公卿の政所下文に準拠した政所下文と、領家などの下文に倣った直状様式の下文、二通りがあります。
いずれも所領の安堵・補任等、民政関係のことに出される場合が多いです。
例:前右大将(源頼朝)家政所下文
前右大将家政所下 左兵衛尉惟宗忠久
……(本文略)……
///建久八年(1197:鎌倉前期)十二月三日 案主清原、知家事中原
令大蔵丞藤原(花押:武藤頼平)、別当前因幡守中原朝臣
//散位藤原朝臣(花押:二階堂行政)
(島津家文書、東京大学史料編纂所所蔵)
解説
源頼朝が、大隅・薩摩の家人奉行人(地方官)・島津忠久に対して職責事項を明示した文書。
- 源頼朝:権大納言兼右近衛大将(うこんえの‐だいしょう)辞任→ 征夷大将軍→ 上洛して将軍職を辞す→ 前右大将(に戻る)
- 島津忠久:本姓(ほんせい:本家の姓)惟宗氏。左兵衛尉(さひょうえの‐じょう)。
- 政所職員:別当・令(りょう)・知家事(ちげじ)・案主(あんじゅ)
参考文献
古文書の様式
1.概要 2.詔書・勅書、太政官符など