概要
直状(じきじょう)は、直接的な意思伝達。
間接的伝達方式の奉書に対し、直接に出すという意味で直状といいます。すなわち、直状は真の発給者が差出者として文書にその姿を現す様式であって、普通の書状に属します。
また普通の書状の書止めが「恐々謹言」(きょうきょうきんげん)などに対して、直状は「状如件」(じょうくだんのごとし)「仍如件」(よってくだんのごとし)。また普通の書状は月日だけであるのに対し、直状は年月日を書くのが主要な相違点です。
また直状は、所領、所職の安堵、補任など、民政関係が多いです。この種の直状は鎌倉時代以来、書下(かきくだし)と呼ばれました。
例:源頼朝袖判下文
////////(源頼朝 花押)
下 伊勢国波出(はた)御厨
/補任、地頭職事
/////左兵衛尉惟宗忠久
……(本文略)……之状如件、以下
///元暦二年六月十五日
(島津家文書、東京大学史料編纂所所蔵)
読み下し文
下す、伊勢国波出(はた)御厨(みくり)補任す、地頭職(しき)の事、左兵衛尉惟宗(これむね:島津)忠久…(本文略)…の状くだんの如し、以て下す、元暦(げんりゃく:平安末)二年(1185)六月十五日
解説
取次人の署名がなく、袖(そで:文書の右側)に将軍の花押があります。これを袖判(そではん)下文といいます。袖判は、源頼朝の創始ではなく前に例があります。
上記頼朝の袖判は、冒頭に「下」の文字があるので下文ですが、奉行の名はなく、頼朝が直接下しているので、直状様式の下文と言えます。内容については以下のとおり。
鎌倉幕府が荘園に設置した地頭職(じとうしき:荘園管理)は、幕府敵対者(平家、木曽義仲方)没収地に展開したことが最大の特徴。この下文は、頼朝がその謀反人・平家方残党の所領を没収して、御家人に与えたことを示します。
- 補任(ぶにん):職に補し官に任ずること。
- 御厨(みくり):伊勢神宮の領地。全国的に分布。のちに寄進されて荘園化。
特徴、その後
一二世紀の末、源頼朝は伊豆に崛起(くっき)し、相模鎌倉に拠って東国を基盤とする武家政権を創設。
その政権運営のために用いた文書は、平安時代に登場した下文と御教書の二大系統の文書以外のものではありませんでした。これは、この政権の中核を形づくる頼朝以下の武士上層部が京都文化の追随者であって、未だ彼らの間になんら独自の文化を形成し得なかったことによる当然の結果でした。
また室町時代には政所下文はなく、直状様式の下文だけです。
参考文献
古文書の様式
1.概要 2.詔書・勅書、太政官符など