図:鎌倉幕府の機構_執権時代
概要
源頼朝は武家政治を行い、藤原氏に倣って御教書を出しました。様式は公家御教書によります。
差出者による種類によって、鎌倉幕府から出る関東御教書、京の六波羅探題から出す六波羅御教書[註]、九州探題から出す鎮西御教書などがあります。何れも同じようなもの。
例:関東御教書
為異賊警固所下遣、兼時々家…(本文略)…
//正応 六年三月廿一日 陸奥守(北条宣時 花押)
/////////// 相模守(北条貞時 花押)
///島津下野(忠宗)三郎左衛門尉殿
(島津家文書、東京大学史料編纂所所蔵)
解説
正応(しょうおう)は鎌倉後期。蒙古の二回の襲来から一二年後。前年、高麗の使者が太宰府へ元への朝貢を勧める国書を呈しました。かくして幕府は、異賊(蒙古)防衛を一段と強化する必要に迫れました。
この御教書は、新たに北条氏一族、兼時・時家の二人を九州に派遣して防戦の策を講ぜさせようとして、九州の守護に与えた指令。なお、差出書は単独でなく連名で、これを連署(れんしょ)といいます。
まとめ:区分
内容による
- 問状(もんじょう)御教書:訴訟の場合、被告への尋問書
- 召文(めしぶみ)御教書:出頭を求める召喚状
内容/時間的効力
補註
六波羅探題:鎌倉幕府が京都守護に代わって六波羅に置いた機関。京都市中の警備にあたる。探題は執権に次ぐ要職で、北条氏一門の有力者が任命。
参考文献
古文書の様式
1.概要 2.詔書・勅書、太政官符など