平安時代前期
律令制度は、奈良時代を発達の頂点として、平安時代に入ると早くも弛緩と破綻を示し始めました。これに伴い、以下に見るように文書の上にも大きな変革が起こりました。
天皇文書
宣(せん)とは、詔勅(しょうちょく:詔書と勅書と勅語)の表向きの文書に対し、内輪向きの小事(しょうじ)に口勅を伝宣(でんせん:天皇の意思を伝達)する文書。
宣旨(せんじ)
蔵人(くろうど:蔵人所の職員)が、勅命を太政官に伝達して出させる文書。
宣の内向きのやり方も、嵯峨(さが)天皇(在位809~823)ごろから表向きになりました。この御代に蔵人所[註1]が出来て、中務省[註2]の従来の役目である詔勅の起草および太政官への伝達を掌るようになったゆえです。
- 例:(書出)左大臣宣
これにより、詔勅は比較的重大な場合にだけ。宣旨も綸旨、院宣が行われるようになってからは少、更に武家時代以後は稀になりました。
太政官文書
官宣旨(かんせんじ)
太政官の一部局の(左右)弁官[註3]から下す公文書。太政官文書の下文。太政官符・官牒の略式文書で、職印(内印・外印)は不要です。
- 例:(書出)左弁官下(さべんかんくだす)
天皇文書が詔勅から宣旨に代わったと同様に、文書様式や簡便さも大いに影響して太政官符・官牒から官宣旨へ移行。すなわち朝廷政治が、太政官政治から識事(蔵人)・弁官(太政官直属)の役人中心へ移行しました。
補註
参考文献
古文書の様式
1.概要 2.詔書・勅書、太政官符など
3.宣旨、官宣旨 4.政所と家司