連署
連署(れんしょ)は、執権の補佐役。北条氏の有力者が任じられました。北条義時(政子の弟)の子・泰時が設けました。執権とともに幕府の公文書に署判(しょはん:判は花押、広義に署名)を加えることから。
中世では一名での署判ではその効力に乏しいとされたことや、相互監視の必要性、また協力してことにあたる必要性などから、連名での署判が求められることが多かったです。
例
- 北条宣時(のぶとき):1238~1323。鎌倉時代後期の連署。大仏流北条朝直の子。正応二年(1289)六月二三日陸奥守に転ず。この間、佐渡・遠江の守護を兼任。正安三年(1301)八月二二日の貞時の執権辞任により、翌日連署を辞任。同九月四日、出家。享年八六。
- 北条貞時:1271~1311。鎌倉後期の執権。執権時宗の父として文永八年(1271)誕生。弘安七年(1284)父の没後十四歳の若さで執権となる。翌年相模守となり左馬権頭兼任。四一歳で病没。
平朝臣とは
後者の下知状は、両人とも平朝臣を名乗っています。北条氏は桓武平氏。桓武平氏は桓武天皇賜姓皇族のうち平朝臣を称した氏族の流れ。
朝臣(あそん)は、古代のカバネ(姓)の一種。朝臣は遠い皇族と考えられていた有力な諸氏族に与えられました。その後奈良時代中期以後、平安時代にかけて他の姓氏より朝臣を賜わるものが続出し、他方カバネ制度が政治的社会的意義を失い、単に儀礼上その名をとどめるにすぎなくなりました。
連署の行き方
さて、連署の行き方は、公家にあっては同位の官人ならば文官を先にして武官を後にし、外官(地方官)は諸官(中央諸官)の次にする例。武家の文書でも、公文書系統の政所下文などは大体同様です。
しかし多少私的系統に属する文書は、別の行き方を採っているものが多いです。代表的私文書の書状はもとより、鎌倉幕府の御教書・室町ならびに江戸幕府の奉書などの文書の連署にあっては、たいてい宛書に近い方が上位で、日付の下の者が下位かあるいは主任者です。
参考文献
古文書の様式
1.概要 2.詔書・勅書、太政官符など