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黒船来航史その5

阿部正弘の決断 守られない日米和親条約

阿部正弘の決断

測量艦隊司令長官ロジャースと老中首座阿部正弘

体格もあちらに負けてない?阿部正弘。

測量艦隊司令長官ロジャース 来日

アメリカにはペリー東インド艦隊とは別に、航路太平洋航路拡大および海図(かいず)作製を任務とした測量艦隊がありました。

いくらペリーが外交でがんばったところで、測量艦隊が安全な航路を開拓してくれなければ、アメリカから船を進めることができない。そのような意味でも重要な任務を担った艦隊でした。然しながらペリーの活躍だけが前面に出てしまい、現在においてもなお、後藤敦史氏曰く「忘れられた黒船[]」となっています。

ペリーとの間に確執などがあって退任に至った測量艦隊司令長官リンゴールドの後を引き継いだのは、ペリーとの関係が良好なロジャース。新・測量艦隊司令長官ロジャースは、日米和親条約の実効性の確認も含め、日本へ向けて船を進めました。

1854年(嘉永七)11月16日琉球到着。数カ月前に結んだ琉米協定条約により水先案内人が提供されるはずしたがなされず非協力的でした。同12月2日鹿児島湾に到着。薩摩藩に日米和親条約により下田・函館以外は漂着を許すことができないと申し渡され、一旦香港へ向かいました。

翌1855年5月13日ロジャースの測量艦隊は下田入港。下田箱館以外も測量希望したので、幕府はどうすべきか協議に入りました。日米和親条約以上のことを要求された幕府は、強国相手に万事休す。ロジャースの測量艦隊は幕府の回答を待たずに、翌1855年5月21日に戸田(静岡県沼津市)で測量を実施しました。

同年9月23日(安政二年八月一三日)老中首座・阿部正弘(あべ-まさひろ)37歳は、戦争になるかもしれないが許可による国内の反発を懸念。測量拒否という決断を下しました。そんな正弘は二年後(1857)に病死しました。

  

補註

後藤敦史『忘れられた黒船』(講談社、2017年)

黒船来航史

1.大航海時代/2.ペリー来航前の黒船史/3.ペリーとは

4.ペリー来航/5.阿部正弘の決断/6.日米修好通商条約

瓦版

蒸気船[図]現代語訳解読文

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/2019年1月7日 公開