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黒船来航12

東禅寺・生麦・公使館焼打ち_対英攘夷事件

序文

メフィストーフェレス:ここにイギリス人はいるかね? あの連中はいつも、出歩くのが好きで、戦場やら滝やら、廃墟の石垣やら、古色蒼然とした史跡やらを探しまわる。ここの土地も、おそらくあいつらの恰好のねらい場所だ。ゲーテ『ファウスト』悲劇 第二部(1808年・文化五)

背景

幕府は勅許(ちょっきょ:天子の許可)なしに日米修好通商条約に調。このことは攘夷を刺激し激化。米国のとの条約に続き、日本は英国とも条約を締結(安政の五か国条約)。これにより米国同様英国は襲撃事件に見舞われました。

対英攘夷事件

1.東禅寺事件

各国の公使館は江戸の寺院などを借りて開設。英国仮公使館は、江戸高輪の東禅寺にありました。

  1. 文久元年(1861)五月二八日:英国仮公使館(東禅寺)の書記官らが水戸藩士に襲撃されて負傷。駐日公使のオールコックは当寺に居住していたが、難を逃れる。
  2. 同二年(1862)五月二九日:同館の警備にあった松本藩士が英国人二人を斬殺。

当事件より前から相次ぐ襲撃事件により、幕府は各国大使館を一か所(品川御殿山)にまとめ、警備の強化を計りました。建物は同年秋には完成。

2.生麦事件

  • 同年八月二一日(1862年9月14日):英国商人の一行が、薩摩藩主の父・島津久光の行列をさえぎったとして、神奈川生麦村(横浜市鶴見区)で襲撃され、リチャードソンが殺害される。

リチャードソン(?-1862)英国商人。中国に十数年滞在し、帰国の途中観光のため日本に来遊。横浜在留の英国商人マーシャル、米国商社員英国人クラークと観光客ボロデール夫人と共に川崎大師へで小旅行に赴く途中、神奈川生麦で斬殺されました。

それまでの攘夷テロは、外交官や軍人が対象でしが、生麦事件によってはじめて民間証人が被害者となりました。

3.イギリス公使館 焼打事件

  • 同年一二月一二日(1863年1月31日):新たに品川御殿山に建設した英国公使館(洋風建築)を長州藩尊攘派の高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、伊藤博文らによる焼き討ちで焼失した。

襲撃事件に対する無策ぶりに英国は、幕府の鎖国回帰を狙ったものなのではないかと疑念を抱きました。

参考文献

黒船来航史

6.日米修好通商条約 7.井伊直弼 8.安政の大獄 9.桜田門外の変

10.尊王攘夷 11.オールコック 12.対英攘夷事件

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