解読文
原文
差上申一札之事
一 男五㊞人/右之者共、此度伊勢参宮仕候間、御 関所無相違御通被 遊可被下候、為後日通手形依而如件
武州男衾郡板井村 名主 平重郎㊞/嘉永四年亥極月十九日/箱根 御関所 御役人衆中様
読み下し文
差上げ申す一札の事/一(ひとつ)男五㊞人/右の者ども、この度伊勢参宮仕りそうろうあいだ、御関所相違無く御通り遊ばされ下さるべく候、後日の為、通手形依ってくだんの如し(以下上記解読文に同じ)
現代語訳
一通の文書を提出して申し上げます。
一 男五人、右の者どもは、このたび伊勢へ参拝するので、御関所を間違いなくお通しなされてください。後日の(証拠の)為、通行手形はこの通りです。
武州男衾郡(おぶすまぐん)板井村(埼玉県熊谷市)名主平重郎より/嘉永四年亥(1851)一二月十九日 箱根御関所 御役人の方々様へ
通行手形とは
概要
関所では、通行(関所)手形の判を予め届けられている判鑑(はんかがみ:照合用に登録された花押や印影の見本)に照合して、相違がなければ通行させました。
通行手形は、性別により男手形と女手形の二種類あります。男性は女性と違い、通行手形の携帯義務がなく、簡単な取り調べを受けるだけで関所を通ることができました。男手形は住んでいる村の名主が作成。また、通行手形は基本的に関所で取り上げて保管します。
関所は、江戸幕府の治安維持のために全国五三か所に設置。主に江戸に大量の武器の流入、大名が江戸に置いた人質の逃亡を防止するために(入鉄砲出女・いりでっぽうおんな)を検閲しました。
実際
『旅行用心集』(文化七)には、同行人数、手形を出す直前の様子などが記されています。[註]
道中用心六十一ヶ条「道連れは、せいぜい五、六人に限るように。大勢連れは悪い。人々了簡様々なので、長い道中で多勢の中には必ず不和の出来ものだ。」
諸国の関所「通り手形は大切に所持し、その所の茶屋にて一度確認したうえで、御番所(関所に準ずる所)に差出すこと。その場でかかずらい、懐中の鼻紙入等を探しもとめるのは計らいがない。女通り手形等も同様。もし一向に心配の人は、関所の者に事情を話して処置するように。」
代参講
江戸時代の村の人々が伊勢参りに行くには、年貢納入などに障りがあるので、きほん的にまず代参講(だいさんこう)に加わる必要がありました。
史料情報
- 表題:差上申一札之事(箱根関男五人御通行ニ付)
- 埼玉県立文書館所蔵 飯島家549
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補註
『旅行用心集』原文
道中用心六十一ヶ条 十五頁
一 道連(みちつれ)れは、たか/\五、六人に限(かき)るべし、大勢連(おほせいつ)れは悪(あ)し、人々了簡(りやうけん)種々(さま/\)なるものゆえ、長(なかき)道中にて多勢(たせい)の中には必(かなら)ず不和(ふわ)の出来(てきる)もの也
諸国の関所 六十五頁
一 通り手形は大切に所持いたし、其所の茶屋にて一めみ上(闕字)御番所差上可申也、其場(そのば)かゝり懐中鼻紙入(はなかみいれ)等尋(たつね)さかすは不取廻(ふとりまは)しなるもの也、女通り手形等も同様なり、若一向に不案の人は其所のものに様子を承り合すべし
参考文献
- 日本歴史学会『演習古文書選(近世編)』(吉川弘文館 、1992年)「八二 関所手形」181-182頁
- 森安彦『古文書を読んでみよう―文書で知る江戸の農村のくらし』(日本放送出版協会 、2001年)「伊勢参宮関所手形」60頁