史料
A:頼朝上洛図[大井川行烈図]
六枚続 その1
六枚続 その2
B:源頼朝公上京之図(東海道舞さか今切のわたし)
解説
概要・時代背景
史料は、幕末文久三年(1863)一四代将軍・家茂(和宮の夫)が、三〇〇〇人を伴い二二九年ぶりに上洛(2月)上洛した際の模様を、源頼朝になぞらえて描かれた絵です。
安政五年(1858)幕府は日米修好通商条約調印。孝明天皇は開国に絶対反対でしたが、家茂は開国の実情、日本の無防備さを朝廷に奏上し、攘夷の愚を訴えるために上洛することになりました。
道程
家茂上洛は二二日かけて、日本橋から東海道を通って京都を目指します。これには八王子千人同心六一四人も随行しました。
史料の大井川は静岡県中部を流れる川で難所の一つ。舞坂も同じく静岡は浜松の地名。東海道の宿駅で湖口の今切の渡しで新居宿と結びます。
各々の宿場に対しては、行列の一里半(約6km)先を御幕(陣屋を囲む幕)、長持(陣立道具)が行き、各々の宿場では先行していた御年寄衆(家老)が出向かることになっていました。
史料の特徴
当頁史料Bの埼玉県立文書館所蔵「今切の渡し」を描いた上洛図は、E・キヨソーネ東洋美術館蔵「東海道五十三次 将軍家茂公御上洛図」文献76頁と同じです。(史料A大井川を描いた上洛図は、前掲書と異なります。)
家茂上洛にあたって幕府は、史料のように狩野派の絵師ではなく市井の浮世絵師を随行して描かせました。彼らの大胆にも繊細な筆遣いから、幕府最後の粋と威光を今に窺い知ることができます。
参考文献
福田和彦『東海道五十三次 将軍家茂公御上洛図―E・キヨソーネ東洋美術館蔵』(河出書房新社、2001年)
史料情報
- A:頼朝上洛図 [大井川行烈図] 埼玉県立文書館寄託 小室家文書 6367-6、年代 -(江戸時代)、五雲斎貞秀 画・菊屋市兵衛 板、形態 六枚続
- B:源頼朝公上京之図(東海道舞さか今切のわたし)同館寄託 小室家文書 6367-7、年代 -(江戸時代)、二代広重 画・広岡幸助 板、形態 三枚続
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錦絵
北条時頼会盟図/徳川家茂将軍上洛図