概要
享保の改革とは、八代将軍・徳川吉宗が在任中の享保元年(1716)~延享二年(1745)の約三〇年間に行った多岐に渡る政策の総称。後世の人が便宜上、享保の改革と名付けました。
加えて寛政・天保と併せて三大改革も、後世の人がそのように呼んでいるだけ。けだし三大改革の他に、新井白石における正徳の治や文政改革などがあります。
背景、目的
吉宗の頃には、貨幣経済の普及に伴う村社会での貧富の拡大、文字の普及に伴う名主など村役人の不正を糺す動きが現れました。よって享保の改革は幕府の制度との現状との齟齬の解消であり、藤田覚氏[文献]が言うように、幕藩制の危機への対応策とみることはできないでしょう。
ところで吉宗は、政治について儒者の荻生徂徠に意見を求め、徂徠はこれを『政談』(享保一二頃)にまとめました。この書によれば幕府成立から「家康公のやり方のまま」一〇〇年以上経過。本頁では『政談』がどの程度、改革に取入れられたかも考察します。
政策
以下に享保の改革の各政策を示しますが、多岐に渡ります。
幕藩体制
農政
- 検地:検見法から定免法を採用。
- 新田開発、甘藷栽培の奨励
民政
結果、考察
徂徠『政談』では、人材登用の重要性についての話があります。足高(あしだか)の制はこれをママ実現しているように見えます。
また徂徠は同書で、城下に住む代官や旗本と支配地の村が遠く離れていることを指摘。これを解消する代官在陣令は天保の改革まで待たねばなりません。全体として、徂徠の意見は余り反映されていないようです。
然しながら仁の精神は見られ、天明の飢饉においては、幕府の米蔵から米を緊急に被災藩に回すなど迅速な対応をしました。かくして江戸で起きた打ちこわしは三年ほどでおさまりました。
参考文献
- 藤田覚『近世の三大改革』(山川出版社、2002年)