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江戸幕府の改革

享保の改革 吉宗将軍、徂徠の提言を却下?

目次

1.概要 2.背景、目的/3.政策幕藩体制農政民政

4.結果参考文献幕府の改革関連記事

概要

享保の改革とは、八代将軍・徳川吉宗が在任中の享保元年(1716)~延享二年(1745)の約三〇年間に行った多岐に渡る政策の総称。後世の人が便宜上、享保の改革と名付けました。

加えて寛政天保と併せて三大改革も、後世の人がそのように呼んでいるだけ。けだし三大改革の他に、新井白石における正徳の治や文政改革などがあります。

背景、目的

吉宗の頃には、貨幣経済の普及に伴う村社会での貧富の拡大、文字の普及に伴う名主など村役人の不正を糺す動きが現れました。よって享保の改革は幕府の制度との現状との齟齬の解消であり、藤田覚氏[文献]が言うように、幕藩制の危機への対応策とみることはできないでしょう。

ところで吉宗は、政治について儒者の荻生徂徠に意見を求め、徂徠はこれを『政談』(享保一二頃)にまとめました。この書によれば幕府成立から「家康公のやり方のまま」一〇〇年以上経過。本頁では『政談』がどの程度、改革に取入れられたかも考察します。

政策

以下に享保の改革の各政策を示しますが、多岐に渡ります。

幕藩体制

  1. 足高(あしだか)の制(享保八年,1723):才能や経験をかって、家格の低い者から優れた人材を登用。家禄がその役高に足りない場合は、在側中に限り不足額を支給する。例:大岡越前忠相(ただすけ)、田中丘隅(きゅうぐ)など。
  2. 上げ米(あげまい)令(同七年,1722):大名一万につき一〇〇石の献納を命じる。代わりに参勤交代を緩和。同一五年廃止。
  3. 鷹狩の復活:生類憐みの例で中断していた鷹狩の復活に伴い、鷹場も復活。

農政

  1. 検地:検見法から定免法を採用。
  2. 新田開発、甘藷栽培の奨励

民政

  1. 公事方御定書(くじがたおさだめがき):吉宗の命により寛政二年(1742)に完成した法典。刑事事件を担当奉行の個人的な判断ではなく、法典によって判決を下す。
  2. 倹約令(享保九年,1724):衣服の売買を制限。
  3. 目安箱:一般庶民の意見を聞くため、江戸城竜ノ口評定所前に投書箱を設置。小石川養生所の設置に繋がった。
  4. 小石川養生所(ようじょうしょ)(同七年,1722):江戸市中の貧困層を無料で治療を行う病院
  5. 漢訳洋書輸入緩和(同年,1722):中国で洋書漢文に翻訳した書物のうち、キリスト教に関係ないものの輸入を許可。

結果、考察

徂徠『政談』では、人材登用の重要性についての話があります。足高(あしだか)の制はこれをママ実現しているように見えます。

また徂徠は同書で、城下に住む代官旗本と支配地の村が遠く離れていることを指摘。これを解消する代官在陣令は天保の改革まで待たねばなりません。全体として、徂徠の意見は余り反映されていないようです。

然しながらの精神は見られ、天明の飢饉においては、幕府の米蔵から米を緊急に被災藩に回すなど迅速な対応をしました。かくして江戸で起きた打ちこわしは三年ほどでおさまりました。

参考文献

幕府の改革

1.自然災害 2.享保の改革 3.寛政の改革 4.無宿

5.関東取締出役 6.文政の改革 7.組合村 8.天保の改革

享保年間:『葉隠』『折りたく柴の記』『自然の体系