荻生徂徠『政談』巻之三
1.癖のある人に勝れている人がある
「大概、癖のある人に勝れたる人があるものだ。癖有る人が残らず勝(まさ)った人と云うのではない。一癖ある者に勝れたる人が多い。
これにより面魂(つらだましい)に一癖有りとして、 左様の人を名将として賞翫(しょうがん:珍重)したことが多い。聖賢の書にはこれを器(うつわ)[註1]と言う。
2.器とは
器と云う物は、たとえば槍は突くこと計かりにて切る業(わざ)なし。刀は切る計かりで突く業に疎い。錐(きり)は尖って鎚(つち:かなづち)の役ならず。鎚は鈍くて錐の役ならず。
総じて刃物は鞘(さや)に入れて置かねば、大いなる怪我をするが則ちそれが癖だ。その刀の鞘なくて怪我せず、錐の当て疵(きず)を附けずと云うは皆癖なき者にて、その代わりに何の用にも立たざる者。しかしその癖と言う物が則ち器である。」
「器で無ければ役に立たない物だ[註2]。人も左の如し。故(ゆえ)に人の才能・智恵が面々(各々)に異なりあることを器と云う。 人に器量と言うもこのこと。これは人の才智様々別々なる故、これを使って用に立つことは、前に言いたる「和して同せず」[註3]と言う道理にも叶うことである。」
3.万能丸より一つの器量
「去れども世が末に成るに随い、上たる人の器量は小さくなる故、物を気遣う小気なる心強く、一癖ある人の中にて才智ある人を取り出すことを知らない。
ただ陳皮(ちんぴ:蜜柑の皮を乾かした薬)・香附子(こうぶし:ハマスゲ(海辺の草)の地下茎を乾燥した生薬)の様なる、毒にも薬にも成らぬ人を好み、また学問関係が悪く成なったのを聞かずして、万病円(まんびょうえん:万能にきくという丸薬)になる人を実の賢才と心得て、左様の人を尋ねる。
けれど古より左様の人はなき者なる[註4]故、今の世にも見当たらねば、善人はないと言うことに成る。 かの万病円のようなる人は、皆根入(ねいり:柱の根の地中に埋め込んだ部分)もなき薄き人にて、しかも方々へ能く合わせ、誰にも善人と思われる者だ。
これは孔子が言われた郷愿(きょうげん)[註5]と言う者にて、何の用にも立たざる物なりを知るべし。
故に賢才と云うは一器量ある人を言って、左様の人は一癖ある人の内に多くある者なりと了簡して、その人を役目にはまる様に使い込むとき、本当の賢才をあらわすのだ。 」
補註
『論語』篇名 文章番号
- 器…為政12「君子は器ならず。」
- 器で無ければ…子路25「其の人を使ふに及びては、之れを器(うつわ)にす。」
- 和して同せず…子路23「君子は和して同せず。小人は同して和せず。」
- 古より左様の人はなき者なる…子路23「才難しと、其れ然らずや。」
- 郷愿(きょうげん)…陽貨13「郷原は徳の賊なり。」
参考文献
現代語訳について
当頁『政談』の現代語訳は、辻達也 校注「政談」『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店、1973年)をもとに当サイトの運営者が現代語訳。徂徠節を尊重し、直訳を心掛けた。また、尾藤正英(翻訳)『荻生徂徠「政談」』(講談社、2013年)も参考にした。
補註について
補註は当サイト独自に平岡武夫『全釈漢文大系 第一巻 論語』(集英社、1980年 )を参照して附した。
政談 目次
1.荻生徂徠 2.本書概要 3.武士の非正規 4.旅宿暮らし
5.武士の貧困 6.医者 7.国替 8.外様譜代 9.国の困窮