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序
荻生徂徠は『政談』において政治のあり方についてまず、古代中国の聖人の道に学べ!と説きました。ここからは貧困問題の具体的な解決策を、武士の現状を踏まえつつ見ていきましょう。
荻生徂徠『政談』巻之二
1.土に定着させ、礼法を立てよ
「されば上下の困窮を救う道とて別に奇妙なる妙術もなし[註1]。ただ古(いにしえ)の聖人の仕方には有って、今の世には闕(か)けたることなどあり[註2]。これを考えて改めるに及ぶものはない。
それは如何様のことぞと言うに、古の聖人の法の大綱は、上下万民をみな土地に定着させ、その上に礼法の制度を立てる[註3]こと、これが政治の大綱である。
今はこの二つが欠けたる所より、上下困窮し、種々の悪い事も出る。一巻目に言ったように、今は上下みな旅宿の境遇なので、聖人の治めに上下万民を土地に定着させると、定着させないと表裏の違いだ。
一切のことに制度無く、衣服より住居・器物まで貴賤の階級なき故(ゆえ)、奢りを押さえる規則もない。これ聖人の礼法・制度を立てたのとまた表裏の違いである。
2.武士の旅宿暮らし
制度の事は先ずそのままに末に至って申すべし。先ず旅宿の所を言うなら、諸大名一年替わりに御城下に詰居れば、一年ごとの旅宿である。その妻は常に江戸なる故、常住の旅宿。御旗本の諸士も常に江戸にて、常住の旅宿である。
諸大名の家中も大形その城下に聚(あつま)り居て、おのおのの知行所に居なければ、旅宿なる上、近年は江戸勝手(江戸の藩邸に長く住んで、江戸の生活に馴染んでしまったこと)の家来が次第に多くなった。
これらの如き、総じて武士と言う程の者の旅宿ならざるは一人もなし。
3.箸一本も銭を出す
諸国の民の商工をする者、俸手振(ぼうてふり・荷物を担って売声を立てて歩く商人)や日雇取(ひようとり/日雇い)などの游民(ゆうみん)も、故郷を離れて御城下に集まる者年々いよいよ多くなる。
旅宿も旅宿と心得るときは物入りも少き事成るに、江戸中の者が旅宿と言うは夢にも著(つか)ず、旅宿を常住と心得ている。故に、暮らしの物入り莫大にして、武士の知行は皆商人に吸い取られる。
畢竟精を出して上へ奉公をして、上より賜る禄は残らず御城下の商人の物となり、馬を持つ事も成らず、人を持つ事も成らず。冬春の切符(俸禄米の支給)の間は物を質物にて繋ぎ、或は町人に金品を送り届ける事を頼んで、己が身上は人の手に渡る様に今は成り極りたるは、哀しいことではないか。
畢竟は箸一本にても銭を出して買い調えざれば事叶わざる故、このようになったのである。」
補註
『論語』篇名 文章番号
参考文献
現代語訳について
当頁『政談』の現代語訳は、辻達也 校注「政談」『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店、1973年)をもとに当サイトの運営者が現代語訳。徂徠節を尊重し、直訳を心掛けた。また、尾藤正英(翻訳)『荻生徂徠「政談」』(講談社、2013年)も参考にした。
補註について
補註は当サイト独自に平岡武夫『全釈漢文大系 第一巻 論語』(集英社、1980年 )を参照して附した。
荻生徂徠『政談』
1.荻生徂徠 2.本書概要 3.武士の非正規 4.旅宿暮らし
5.武士の貧困 6.医者 7.国替 8.外様譜代 9.国の困窮