荻生徂徠は『政談』巻之一
秀吉より始まった所替え
「今の世の人、百姓より外は、武士も商人も故郷と言うものを持たず、雲の根が離れたような境遇[註1]で哀れな次第だ。
ただ昔は大名の家来もそれぞれ知行所を与えて、その知行所に住まわせたけれど、今は指支(さしつか)える事情がある。
元来、武士も皆、知行所に居たけれども、太閤秀吉の時より大名に所替え(ところがえ:大名の領地を他に移しかえること)をさせるという事が起こったので、そのような折に不便なので、家来皆々をそれぞれの城下に集め置いて、今は一様にこのような風俗となった。
その時代は戦国の(戦いが)始めて静まった砌(みぎり)で、その勢いを弱める術にて策略の一つとなっていたけれども[註2]、是より日本国中の武士の人数が減少することは、武道に於いて宜しからざる事の第一。
天草一揆の折、粗末な小城に百姓一揆の籠りたるを、西国大名が数を尽くして攻めるも[註3]、その折より早くも武士の数が減少したる証拠である。」
補註
参考文献
現代語訳について
当頁『政談』の現代語訳は、辻達也 校注「政談」『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店、1973年)をもとに当サイトの運営者が現代語訳。徂徠節を尊重し、直訳を心掛けた。また、尾藤正英(翻訳)『荻生徂徠「政談」』(講談社、2013年)も参考にした。
補註について
補註は当サイト独自に平岡武夫『全釈漢文大系 第一巻 論語』(集英社、1980年)を参照して附した。
荻生徂徠『政談』
1.荻生徂徠 2.本書概要 3.武士の非正規 4.旅宿暮らし
5.武士の貧困 6.医者 7.国替 8.外様譜代 9.国の困窮