解説
1.女大学とは
『女大学』(おんなだいがく)は、江戸時代の初等教育用の教科書である往来物(おうらいもの)の一種。
往来物は現在七千種ほど存在が確認されていますが、そのうち約一千種が女子用のものであると言われています。また本史料『女大学』を読む限り、対象は全ての女子というより中等以上の身分の女子です。
さて、宋の朱子は儒教の経典『礼記』(らいき)から「大学」という一編を抜き出して、『大学章句』を作りました。中国の明代以後、日本の江戸時代以後は『大学』といえば、朱子の章句をさすことが普通です[註1]。『大学章句』を念頭に、林羅山曰く「大学トハ大人ノ学也。大人トハ聖人・賢人の事也。『三徳抄』[註2]」
寛政の改革では、朱子学を幕府の正学と定められました(寛政異学の禁 )。実際、本史料『女大学』は儒教思想と重なる部分があったので、当サイトでは解読文と併せて論語などの出典を明記しました。
2.女今川
女子用の往来物は『女今川』『女大学』『女小学』『女庭訓(ていきん)』『女中庸』などがあり、一般に女訓書(じょくんしょ)と言われています。
その中でも「女今川」と「女大学」の二書の系統が、全体の中でも大きなウェイトを占めています。「女今川」は、今川了俊(りょうしゅん:室町時代の武将で歌学者)が息子に向けて記した戒めになぞらえて、女子用に作り変えられたものです[註3]。
3.著者と歴史
「女大学」は著者不明です。貝原益軒(江戸期の儒学者、教育思想家)の『和俗童子訓』巻五の「女子に教ゆる法」を基に綴られたと言われますが、著者を益軒とする確証はありません。最古の版本は享保元年(1716)大坂柏原清右衛門、江戸小川彦久郎合梓(ごうし)の『女大学宝箱』と言われています。
『女大学宝箱』だけでも明治初年までに一一版を重ねましたが、一八世紀後半以降になると、挿絵や頭書きを改めて「女大学」を冠した多様な改定本『女大学教文庫(おしえぶんこ)』『女大学操鑑(みさおかがみ)』といった類が数多く刊行されました。
明治初年以降は、活字本による「女大学」が公刊され、女子用の修身本として第二次大戦終了時まで使用されました。
4.内容
『女大学』の内容は、女として夫と家を支え、慎みを忘れずに女の道を極めよという倫理観のもと、親および舅・姑に対する孝、洗濯、裁縫等の家事労働、結納・結婚・出産・子育て、三味線などのお稽古、身だしなみのことなど多岐に渡ります。
共感できる所も多少あると思いますが、どんな保守的な女性でもカッチーン!と来ること間違いなし!(笑)。しかし女性はもちろん男性も、次項から当時の人の価値観や暮らしぶりを見ていってください。
補註
- 竹内照夫 訳「礼記」『中国古典文学大系3』(平凡社、1970年)511頁
- 石田一良 校注「三徳抄」『藤原惺窩 林羅山(日本思想体系28)』(岩波書店、1975年)172頁
- 菅野則子「第三章 女訓書と前訓」『入門 古文書を楽しむ』(竹内書店新社、2000年)102頁
史料情報
- 表題:女大学栄文庫
- 年代:嘉永4. 8.(1851)/栄久堂 山本平吉 梓
- 埼玉県立文書館収蔵 小室家文書2342
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