くずし字で楽しむ江戸時代

古文書ネット

  1. HOME
  2. 資料集
  3. 江戸幕府の改革

江戸幕府の改革

寛政の改革 松平定信による囲米、異学の禁など

目次

1.概要 2.背景外国船の来航自然災害

3.政策農政武家・天皇外交教育・教化

4.結果参考文献幕府の改革関連記事

概要

寛政の改革とは、老中・松平定信(宝暦八(1758)~文政一二(1829))が行った、天明七年(1787)~寛政五年(1793)の約五年間に行われた政策の総称。祖父の八代将軍吉宗が行った享保の改革を模範しました。然しながら享保の改革とは大きな相違点があります。

享保のころは、もっぱら国内問題にだけ取り組んでいればよかったですが、寛政の改革は新たに外交問題が加わりました。また失脚した老中・田沼意次の政策は商業中心でしたが、定信の政策は自然災害の背景をとして重農主義となりました。

背景

外国船の来航

寛政三年(1793)紀伊大島(現 和歌山県)にアメリカの船が、初めて日本に来航。民間の貿易証人で、これは単にラッコの毛皮を売りに来ただけですが、そのあともアメリカ商船やら捕鯨船やらが続々と来航。幕府にとってキリスト教は断じて許されず、目の当たりする――科学技術も脅威でした。

自然災害

有名な天明の飢饉を背景に、寛政の改革が行われました。

政策

農政

  1. 囲米(かこいまい) 寛政元年(1789):幕府領農村郷蔵の設置させ、非常時の窮民救済に充てる。
  2. 公的貸付政策:荒地起返(あれちおこしかえし)并(ならび)小児養育御手当御貸付金。荒廃した耕地の再開発に必要な資金を供給と小児養育金の支給。
  3. 人返しの法 同二年(1790):旧里帰農(きゅうりきのう)奨励令 。江戸に流入した農民を資金を与えて帰村させる。帰村は四人のみ。
  4. 人足寄場(にんそくよせば) 同年(1790):江戸石川島に設け、無宿を収容。

武家、天皇

  1. 棄捐令(きえんれい) 寛政元年(1789):窮乏した旗本らを救済するため、1784年以前の札差(ふださし)からの借金返済を免除。
  2. 倹約令:大奥の費用を三分の一に切り詰めた。
  3. 大政委任論:大政の権限を有する天皇が、将軍に委任しているという政治論を明確化。近世初頭、朝廷が衰微していただけであって、元からこのような考え方があるわけではなかった。

外交

  1. 海岸防備の強化:鎖国を祖法として維持。(家康は鎖国をしろとは言っていない。)

教育・教化

  1. 寛政異学(いがく)の禁 寛政二年(1790):朱子学(儒教の一学派)を幕府の正学と定め、湯島聖堂においてそれ以外の異学と講義の研究の禁止。(これより先、将軍吉宗は政治に関して、朱子が大嫌いな儒者・荻生徂徠意見を求めた。)
  2. 孝議録(こうぎろく)の編集・刊行:孝行者忠義者などを表彰する。

結果、考察

田沼意次時代の賄賂横行から幕政の公正化を目指し、官学を朱子学(儒教)と定めただけあって政策に政が見て取れます。然しながら鎖国を祖法としても、外国から日本に来る船は止められません。

また農業では食べて行けず村を捨て、江戸に出る若者は増加の一途を辿りました。それをまた人返しの法を発令しても、本人たちも好きで江戸に来ているわけではありません。彼等は無宿と呼ばれる人々で、江戸中後期の大きな社会問題となりました。

参考文献

  1. 藤田覚『近世の三大改革』(山川出版社、2002年)
  2. 所沢市史編さん委員会編『所沢市史上』(所沢市、1991年)

幕府の改革

1.自然災害 2.享保の改革 3.寛政の改革 4.無宿

5.関東取締出役 6.文政の改革 7.組合村 8.天保の改革

寛政の古文書:奉公人請状夜着蒲団 領収証酒狂の喜平治