仁とは
儒教の最高道徳は、孔子が力説した仁(じん)。五常(仁義礼智信)の中で最も重要な徳目です。上図では仁の意味を一言で人(じん)としました。
H.フィンガレット(米国 哲学教授)曰く「〈仁〉はさまざまに訳されてきた。善 Good、人間性 humanity、愛 Love、慈悲 Benevolence、徳 Virtue、人間性=人であること Manhood、人間性の最高状態 Man-hood-at-Its-Best 等。注釈家達によっては、〈仁〉はひとつの徳であり、あるいはすべてを包括するような徳であり、または精神状態、態度と感情の複合、謎めいた存在であった。」
『論語』では、孔子に弟子らが直接、仁とは何か質問する場面が多々見受けられます。然しながら「〈仁〉とは一体なんであるかという問いに事実上ほとんど答えてくれない」[文献1]
荻生徂徠『弁名』上_仁 四則に曰く「孔門の教へは、必ず仁に依る。その心の聖人の仁と相離れざるを謂ふなり。故に仁なる者は、聖人の大徳にして、君子の以て徳となす所なり。」
況(いわん)や儒者にとって仁が最重要徳目である以上、最大の難問であり、意外に成すにも難(かた)しというところがあります。はるか一五億年彼方から、太陽の一兆倍の明るさで輝く天体・クェーサー(3C 273)くらいには。
その光度を説明するに、ブラックホールをエンジンとして用いればいい――則ち銀河中心核に巨大ブラックホールがあり、適当な割合でガスを落とし込む――しかし回転している物体(ガス)を回転中心(ブラックホール)に落とすのは意外にも難しい…らしいのです。
以下『論語』含め経書より仁に関する言説を紹介しますので、ご参考ください。
経書による記述
『論語』
- 仁に安住することこそ立派である。安住の地を仁に求めないでどうして知者と言えようぞ。(里仁01)
- 仁は手の届かないものではない。我々が仁であろうと思う時、もうその所に仁はあるのだ。(述而29)
- 樊遅(はんち:孔子の弟子)さんが仁について尋ねた。先生(孔子)曰く「人を愛することだ。」(顔淵22)
- 剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)仁に近し。(子路27)
- 道に志す人や仁徳を身につけた人は、生命を惜しんで仁を損じようとはしない。(むしろ)身を捨てても仁の達成をはかるのである。(衛霊公09)
- 子夏曰く「博く学んで熱心に道に志し、切実な問題として問い、手近な所から考えてゆくならば、おのずと仁に近づくであろう。」(子張06)
『孟子』
- 仁ということばの意味は人、つまり人間であれ、ということである。(尽心章句下)
- 人を愛しても相手が親しんで来ないならば、自分の仁の不足を反省せよ(離婁章句上)
『礼記』
- 仁は人(じん)であり、親子兄弟の間の親和が最大の仁である。『礼記』(中庸)
- 仁者は財を用いて身を発し(身体を豊かにし)、不仁者は身を磨りへらして財を発する(財を増殖する)。(大学)
参考文献
- ハーバード・フィンガレット 著、山本和人 訳『孔子-聖としての世俗者』(平凡社、1994年)
- 西田太一郎 校注「弁名」『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店、1973年)
- 谷口義明・和田桂一『巨大ブラックホールと宇宙』(丸善出版、2012年)「第3章 活動銀河核」54、62-63、77-79頁
- 木村英一・鈴木喜一訳「論語」、藤堂明保・福島中郎訳「孟子」、竹内照夫訳「礼記」『中国古典文学大系3』(平凡社、1970年)
- 平岡武夫『全釈漢文大系 第一巻 論語』(集英社、1980年 )
- 土田健次郎『儒教入門』(東京大学出版会、2011年)