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儒教

信とは 儒教道徳(五常)解説

五常

五常
意味 見識 実証

五常配色は陰陽五行説による。

信とは

信(しん)とは、自分の言葉に責任を持つこと[文献1]。

漢和辞典』では一義的に「まこと。真実。誠実。」などとし、二義的に「しんじる。信用する。」。現代は二義的な意味で信が用いられることが多いですが、儒教ではもっぱら、信と誠がほぼ同義語で使われていることが多いです。また下記に見ます、荻生徂徠は信と誠を分けて論じています。

百姓往来

江戸時代の初等教科書『百姓往来』(文政三)の項に「落ちぶれて不憫で貧しき人には情けをかけ、とりわけ親しく交わって人の誠と言うべきだ」

林羅山

林羅山『春鑑抄』(しゅんかんしょう)に曰く「信ハ誠也。」

五常(ジヤウ)ニ信(シン)アルハ、五行(ギヤウ)ニ土アルガ如シ。土ト云モノガナクバ、金モアルマジ、木モアルマジ、水モアルマジ、火モアルマジ。サルホドニ、五行ニハ土ガ専(もつぱら)ナルモノゾ。ソノゴトクニ、人ニ信ガナクバ、ノ道モ行(おこな)ハルベカラズ。故ニ信ヲ土ニタトヘタゾ。」

「タゞシ、信ヲ行(ヲコナ)フ二義アルベシ」として、羅山は論語(学而13)"有子(ゆうし)の言葉。信(しん)は、義(ただ)しさに近づいた時、その言葉はくり返すことができる。"を引きます。

また論語(為政22)に、"人であってその言葉に信がなければ、何事ができるとも思えない。大車(牛車)に輗(げい:轅(ながえ)の横木)がなく、小車(馬車)に軏(げつ:轅のくびき止め)がのうては、どうやって動かせようか"

「サルホドニ、大車モ小車モ、輗ト軏トノアルユヘニ、千里ヲモ行(ゆく)ゾ。人モ信アルユヘニ身ヲタツルゾ。モシ信ガナクバ、車ノ輗(ゲイ)・軏(ゲツ)ナキガゴトク、タゞイタヅラゴトナリ、ト云ゾ。」

荻生徂徠

荻生徂徠『弁名』上_忠信 三則に曰く「信なる者は、言に必ず徴(証拠、実証)あるを謂ふなり。世多くは言に欺詐(いつわり)なきを以てこれを解す。いやしくも言に必ず徴あるを以て心となさば、すなはち欺詐なきこと道(い)ふに足らず。」

は政事(政治)の科たり」「また「文・行・忠・信」のごときは、信は言語の科たり。言語の道は、微あるを尊ぶ。」また同書上_誠 一則に曰く「先王・孔子の教へは、忠信ありて誠なし」「信は疑はざるを謂ふなり」「天の徳は誠なり」。

かくして新選組がその背中に掲げる「誠」はどういう意味で使用しているのかわかりませんが、いずれにせよ儒教道徳に由来していると考えられます。

経書(儒教の経典)

  • 友だちとの交際に自分の言葉を裏切ることはなかったか。『論語』(学而04)
  • 言行を謹んで裏切ることをするな。『論語』(学而06)
  • 君子の精神修養は誠によるものが最もよい。誠を極めるのに他の方法はない、ただを守りを行うだけである。『荀子』(不苟篇)
  • 信ずべきことを信じることが信であり、疑うべきことを疑うこともまた信である。『荀子』(非十二子篇)
  • 誠は天の道である。そして誠を実行するのが人の道である。『礼記』(中庸)

参考文献

  1. 平岡武夫『全釈漢文大系 第一巻 論語』(集英社, 1980年 )
  2. 石田一良 校注「春鑑抄」『藤原惺窩 林羅山(日本思想体系28)』(岩波書店、1975年)145-148頁
  3. 西田太一郎 校注「弁名」『日本思想大系36 荻生徂徠』(岩波書店、1973年)
  4. 木村英一・鈴木喜一訳「論語」、竹岡八雄・日原利国訳「荀子」、竹内照夫訳「礼記」『中国古典文学大系3』(平凡社、1970年)

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五常・信

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