概要
往来物とは
往来物(おうらいもの)とは、平安時代末期から明治初年に至るまで、庶民の初等教育に使われる教科書を言います。その名は、書簡の往復を集めた模範消息(しょうそく:往来、手紙)文例集から。
歴史
現存最古の往来物は、平安後期の官人・学者の藤原明衡(ふじわらの-あきひら)の『明衡往来』(めいごうおうらい)。『雲州往来』(うんしゅうおうらい)とも言われ、漢文による書簡文を集めた例文集でのちの規範になりました。
平安時代末期までに都合七種、鎌倉から室町時代にかけて『貴嶺問答』『一二月往来』など四五種ありました。
庭訓往来
往来物の代表格とも言える『庭訓往来』(ていきん-おうらい)は、応永年間(1394)成立とされ、江戸時代に入っては寺子屋の教科書として広く使われた手紙文例集です。「庭訓」とは、『論語』李氏13「鯉(り:孔子の子)趨りて庭を過」ぎたら、父(孔子)「曰く、詩を学びたりや」と尋ねれたことから、家庭教育の意。
一方、江戸時代では歴史や地理をはじめ、日常生活に必要な知識を教えるような教科書がたくさん作られ、「…往来」と題した教科書は約七〇〇〇以上に達しました。
編者
往来物の編者の多くは詳らかではありませんが、中世以前のものは貴族・僧侶、近世に入ると文人や手習師匠が多くなりました。
百姓往来とは
『百姓往来』は江戸時代、将来、農民になる児童のために、人としての倫理、農業を遂行していくために必要な知識を教えつつ、読み書きをおぼえる為に作られた教科書。
具体的には、耕作の道具、新田開発・検地、水害やひでりなどの災害の際の手当て、検見・貢納、肥料、領主が巡見に来たときの百姓の心得、家屋の造作、農民の常食などが書かれています[註]。作者は浪花禿帚子(なにわ-とくそうし)。
実際、村からアルコール依存の息子だとか不義密通、あるいは無宿などが出てると、年貢納入に障りが出るので、村としては避けたいところです。
『女大学』はいいトコの女子に向けに書いた往来物、『百姓往来』の方がステレオタイプの児童(男児)用となりましょう。「庭訓」の由来よろしく、『百姓往来』も儒教に根差した記述となっています。
参考文献
- 菅野則子「第二章 寺子屋の教科書を読む」『入門 古文書を楽しむ』(竹内書店新社、2000年)42頁
- 柴田実「往来物」『国史大辞典 2』(吉川弘文館、1980年)489頁
史料情報
- 表題:百姓往来
- 年代:文政3/浪花禿帚子 再訂、鱗形屋孫兵衛・ 西村屋与八 板
- 埼玉県立文書館寄託 小室家文書3384
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