解説
江戸時代の年貢米の納め方と言っても領主ごとに違いますが、ここでは幕府領の村の一般的な納入の仕方について解説します。
1.村の郷蔵
年貢は個人ではなく村に課せられ、農民たちが分担して耕作し年貢を納めます。米は秋に収穫され、納める年貢米は村の蔵である郷蔵(ごうぐら)に保管。ちなみに小倉藩の蔵納めの期限は旧一二月一〇日です。
2.津出場
年貢米の多くは船で運ばれたので、年貢米を郷蔵から出すことを「津出」(つだし)と言います。また、年貢米を回送するための船積場所を津出場(つだしば)と言います。
津出場まで五里以内の運送は農民負担で、それ以上には五里外駄賃(ごりがいだちん)が支給されます。年貢納入の交通費については、村入用帳(文久三)に記載があるのでご参考ください。
3.廻船
年貢米を回送する船(廻船)には、村方から船中の責任者の上乗(うわのり)と租米納入時の責任者の納名主(おさめなぬし)が乗り込み、船中は上乗が年貢米納入の時は納名主が責任者となります。
幕府から江戸へ年貢米を運ぶ(廻米)にはかなりの日数を要し、享保二年(1717)旧九月の定めにより、関東地方の翌年正月をはじめとして、越後・越前・能登・出羽などは旧七月を期限としています。
4.浅草の米蔵
江戸浅草の米蔵へ年貢米を納入の時は、代官が蔵奉行の仕方を立合い、見届ける義務がありました。その際の費用は村入用帳(文久三)に記載アリ。浅草の米蔵は六七棟、面積にして東京ドーム二個分もありました(浅草御米蔵_国税庁)。現在は蔵が一つも残っていませんが、蔵前という地名だけは遺っています。
5.年貢皆済目録
無事に浅草の米蔵に年貢米を納めると、代官が村に年貢皆済目録を出します。年貢皆済目録とは、年貢を完納したときに領主側から村に交付した請取書のこと。
6.検地
検見法と定免法
村の年貢額を決める検地には、毎年収穫前に幕府役人を派遣し、実際の収穫によって年貢額を決める検見法(けみほう)と、過去数ヵ年の収穫量の平均を基礎として定められた額をその年の豊凶に関わらず納める定免法(じょうめんほう)がありました。
毎年行われる検見法は費用がかさみ、役人の不正も多く、定免法は不作の時には打撃が大きく、特に小百姓の負担が大きいです。そのため一概に検見法と定免法、どちらががいいとは言えませんが、江戸中期・享保の改革ごろから定免法が一般的になりました。年貢定免請状(万延二)も併せてご参照ください。
7.年貢割付状
年貢額が決まると、納入すべき年貢額を記入して村に通達した帳簿である年貢割付状(ねんぐわりつけじょう)を代官が村に出します。そしてまた、せっせと耕作に励む農民の一年が始まるのでした。
参考文献
児玉幸多『近世農民生活史』(吉川弘文館、2006年 )
江戸幕府の政治
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