原文(一部抜粋)
戦爭に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
だが、人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に對して鋼鐵の如くではあり得ない。人間は可憐であり脆弱(ぜいじゃく)であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
人間は結局處女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を擔ぎださずにはいられなくなるだろう。
だが他人の處女でなしに自分自身の處女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正(まさ)しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
そして人の如くに、日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによつて、自分自身を發見し、救わなければならない。政治による救いなどは愚にもつかない物である。[註1]
解説
異体字
- 爭:争(ソウ)/争は爭の略体。力をいれてあらそう意。
- 對:対(タイ)/対は對の略対。寸(て)+丵(上に歯のある道具)+口。士が道具を手にもち天子に面とむかってこたえる意から、こたえる、むかう意。
- 鐵:鉄(テツ)/鉄は鐵の通俗体。くろがねの意。
- 處:処(ところ)/処が原字で、處は処+虍(→居、おる)。台のもとにどどまるの意。
- 擔:担(かつぐ)/常用漢字では、担は擔の通俗体。手+詹(上をおおう)。肩でになうの意。
- 發:発(ハツ)/発は發の略体。足を開きふんばり弓矢を射る意。[註2]
MEMO
漢字制限の歴史は古く、戦中の昭和一七年(1942)に「修正標準漢字表」(国語審議会)二六六九字が制定されました。
安吾の『堕落論』は、戦後の昭和二一年(1946)の評論。歴史的仮名遣いはほとんどありませんが、異体字(旧字)が結構ありましたので、上記にピックアップ。間違ってもおベンキョーではなく、堕落の中でお楽しみください。
補註
- 伊藤整他 編集『日本現代文学全集90 石川淳・坂口安吾集』(講談社、1967年)より引用。
- 林大(監修)『現代漢語例解辞典』(小学館、1996年 )参照。
近代文学
6.安吾 7.高見