くずし字で楽しむ江戸時代

古文書ネット

  1. HOME
  2. 入門講座
  3. 近代文学

近代文学3

葛西善蔵『子をつれて』

目次

原文解説補註近代文学関連記事

紅葉の樹々

葛西善蔵(1887-1928)『子をつれて』は大正七年(1918)「早稲田文学」に発表した小説。当時の文章の書き方について、以下にみてみましょう。

原文(一部抜粋)

「……そりやね、今日の處は一圓差上げることは差上げますがね。併しこの一圓あつた處で、明日一日凌(しの)げば無くなる。……後をどうするかね?僕だつて金持といふ譯ではないんだからね、さうは續かないしね。一體君はどうご自分の生活といふものを考えて居るのか、僕にはさつぱり見當が附かない」

「僕にも解らない……」

「君にも解らないぢや、仕様が無いね。で、一體君は、さうしてて些(ちっ)とも怖(こは)いと思ふことはないかね?」

「そりや怖いよ。何も彼(か)も怖いよ。そして頭が痛くなる、漠然とした恐怖――そしてどうしていのか、どう自分の生活といふものを考えていゝのか、どう自分の心持を取直せばいゝのか、さつぱり見當が附かないのだよ」

「フン、どうして君はさうかな。些とも漠然とした恐怖なんかぢやないんだよ。明瞭な恐怖なんぢやないか。恐ろしい事實なんだよ。最も明瞭にして恐ろしい事實なんだよ。それが君には解らないといふのは僕にはどうも不思議でならん。」[1]

解説

異体字

  1. :処(ところ)/処が原字で、處は処+虍(→居、おる)。台のもとにどどまるの意。安吾『堕落論』に既出の異体字
  2. :円(エン)/円は圓の草体から。囗(とりかこむ)+員(まるい)。まるいの意。
  3. 譯:訳(わけ)/訳は睪の略体。言+睪(繹、つなぎつぐ)。一国のことばを他国のことばにかえて意味をつなぐ、やくすの意。
  4. 續:続(つづく)/続は續の略体。糸がつづく、つぐの意。
  5. :体(タイ)/体はもと躰が體の略体として用いられたのをさらに略した形。骨+豊(ゆたかにつらなる)。
  6. 當:当(トウ)/当は當の草体から。もとの耕地に匹敵する代わりの土地の意から、あたる意。
  7. :実(ジツ)/実は實の草体から。宀+貝+毌(=周、あまねくゆきわたる)。家の中に財宝が満ちる意。[2]

歴史的仮名遣い

「一體君はどうご自分の生活といふものを考えて居るのか、僕にはさつぱり見當が附かない」

「いふ」「さつぱり」は、現代と同じく「ユー」「サッパリ」と発音。つまり発音は現代と全く同じです。「私は」と書いて「ワタシワ」と読む法則と同じです。

概要

葛西善蔵の名は、忘れ去られつつあるように思いますが、日本の近代文学全集みたいなものには必ずといっていいほど、鴎外・漱石らに交じって彼の作品も収められています。

彼の作品はお金生活にこだわった、いそうでいない作家。実際に生涯貧乏で、困窮状態がそのまま作風に現れています。『子をつれて』はその代表例。

上記一節は、友達のKくん(これまたすごいいいヤツ)にお金を借りに行った際の、Kくんと主人公・小田(≒善蔵)の会話。悲惨を通り過ぎてどこかユニーク。器用に生きられない人に、心地よい元気を与えてくれる作家です。

補註

  1. 伊藤整他 編集『日本現代文学全集45 近松秋江・葛西善蔵集 』(講談社、1965年)より引用。
  2. 林大(監修)『現代漢語例解辞典』(小学館、1996年 )参照。

近代文学

はじめに漱石/葛西/賢治太宰安吾高見

関連記事

無尽無宿政談武士の貧困 貧困の解決策